カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr040 向上心と破滅

向上心が僕の活動を邪魔していけないな、という気がしている。このエッセイにしても最初はとにかく適当に書き散らかすだけのつもりでいた。それが前回の投稿からタイトル付きでちょっとまとまった文章を書いていこうという考えに変わった。意味の分かるタイトルのほうが読む側にとっても面白みがあるだろうし、その他の人の興味を引くことができると思ったのだ。タイトルをつけるにあたっては内容も多少はまとまりが必要になるだろうし、文章量もこれまでの300文字くらいの段落単位でやっていくのでは少ないだろうということになっている。まぁちょっとはまともなエッセイらしいものを書こうというような話だろうか。

僕は調子がいいときはこうして向上心によって改善していこうという気持ちが働く。何についてもそうだ。よりよく、というのは僕の基礎的な価値観のようだ。物事の本質も分かっていないうちから、よりいいものにしていこうとする。ゴールが見えないのに闇雲に進もうとするようなもので、曲がり道の多い、困難な道のりになる。本人はそれで満足しているのだから、その点についてはいいのだろう。僕の幸福が最重要なのだから。

問題は調子に陰りが見えたときとか、向上し過ぎたときにやってくる。破滅だ。やり過ぎて無理になる。自分で上げていったハードルを越えることができなくてつまずいて、転んでしまう。これまでやってきたことが続けられなくなり、下手をすると永遠に終わってしまうことになる。僕としてもその点の危惧はしている。危惧はしているけど、そのときの気分というのが僕にとっては重要だから、気分に従って進んでいってしまう。セーブすることができない。セーブなんてやってられない。よりよくすることに快感があるなら、その快感に向かって突き進まないではいられない。直情的なのだ。

そういうわけで、よろしくないな、と思いつつもやめることができなくて刹那的な快感に溺れるのが僕という存在だった。刹那的な快感なんて危うくて危険な男の香りが漂ってくるようだが、僕の実体はそんな二枚目俳優みたいなもんじゃないので格好がつかない。冴えないおじさん、でしかない。なんとも哀れなものだ。とはいえ本人としてはそんな生き方でやってきてそれなりに満足しているのだから、まぁいいとするしかないだろう。僕は僕に満足している。