カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr006 2023-02-02

賞賛が欲しい。肯定というのか。やる気がないから、やり甲斐のあることをやって達成感という快の感覚を得ることができない。なんとかして快の感覚を得たい。一番楽に手に入るのが賞賛だ。賞賛が欲しいから頑張ろうとすると苦しいかもしれない。だけどなんとなくやってきた過去のことが認められて賞賛を受けるのは、ほとんどただで手に入るようなものだ。賞賛を求めてやったわけでもない何かが賞賛につながる。なんて楽なことだろう。賞賛をお金に置き換えて考えれば分かりやすいだろう。労働をしたつもりがないのに、君のやったことは褒賞に値するといってお金がもらえたら。なんとお得な気分なことか。なので簡単に賞賛が欲しい。

まぁこうやって書くことは僕にとって比較的楽に快感が得られる方法のようで、書いていて多少は気分がよくなってきた。脳内でセロトニンとかが出ているんだろう。なんで自由にセロトニンを出せるようになっていないのか。自由に出せたら毎日幸せで、面倒なことにだって積極的に取り組めるかもしれないのに。いや、やはり報酬系の働きで生き残ることに力を注ぐようにできているのだ。報酬系は生きて子孫を残すことにつながることをしたら快感物質が分泌されて気分がよくなるようにする器官群だ。そのせいで動物は生きて子孫を残すことにつながる行動を繰り返す。

普通は随筆ってもうちょっと文字数の多い単位で書かれるんじゃないのかという気がする。僕が書いているのは少ないんじゃないだろうか。おかげであまり意味のあることを綴れていないように思う。ちったぁ読む人に気を遣ったらどうなのかという考えが湧き上がるけど、さて。そんなことを言い出したらプロットを書いて云々となってしまう。面白くなるように調べごともしないといけないだろう。それでは話が違ってくる。気を遣うのも大変なものだな。いや、気遣いってそんなものだったっけ。よく分からない。

あ、でも自然と気に掛けていることもあるんだ。まぁ誰でもやってるのかもしれないけど、僕だってやってるって話で。前の段落では同じような意味だけど言葉を違えて書いている。「気がする」「だろうか」「思う」「考えが湧き上がる」とか。意味としてはどれも同じことが言いたいのだけど違えているんだ。いつからかこんなことをするようになったけど、普通はどうなんだろうな。

何を書こうかな、と思っていた。今日はいろいろと、ふらふらと思考が流れていかないようだ。目の前のモニタを見ても特に感じるところはない。見慣れているしなぁ。でもこう、思いが浮かんでくることもあるんだよな。あるのか? あるような気がしていたけど、ないかもしれない。どうなんだいったい。明確に認識していないことはよく分からないな。だいたいのことが、ぼんやりとした認識になっている。なんとなく感じているだけだ。明晰じゃない。人によって違うだろうか。物事をなんでも明晰に捉えられている人もいるのかもしれない。程度の問題か。若干明晰ということもあるだろう。僕は曖昧だ。思い出そうとしても思い出せない。ぼんやりしている。大丈夫なのか。