カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

自作品を自分なら読むのか

僕は自分にとって面白い作品を書こうとして書いているんですが、自分なら読むんでしょうか。思い描く最高の作品なら読むかもしれません。でも実際に書いて投稿しているのは妥協して出来上がった中途半端なもの。そんな出来損ないが面白いんでしょうか。

どうして書いているのか

書き始めた切っ掛けは自分にとって面白い作品を作り出したいと思ったことです。だけど僕は目的だけでは続けられない。実際に書いてみて、書くこと自体が楽しかったから、楽しいから書いています。

書きたいものを書いてない

書くのは楽しい。だけど書いていれば何でもいいかというと、そうではありません。書きたいものを書くから楽しいのです。書きたいものとは何か。自分にとって最高の面白い作品です。冒頭で言ったような妥協の産物ではないのです。

書きたいものはずっと向こうに

とは言え、書かないという選択はありません。たくさん書いて技術を養わなければ理想の作品を書くことはできないからです。本当に書きたいものが書けるようになるまで、訪れるかどうか分からないそのときまで、だましだましどうにか書き続けないといけないのです。

それで、読むの?

僕の作品には問題があります。いろんな問題があります。面白さを欠く問題です。読まない、読んでられない。時間の無駄。こんなつまらない小説を読むくらいなら、書いていたほうがよほど有意義でしょう。