カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.100 - 百

2022/09/02 百は多いようでイマイチな数だ。何かを百ほど集めるのはなかなか大変だが、何憂うことなく諸手を挙げて「多い」というにはちょっと足りない。だけどきりがいい。百はお手頃な感じがするし。百と言えばなんだろう、ガンダムシリーズ百式というモビルスーツ?があるのを知っている。百らしい百だ。他には百田尚樹が百だ。あまり好んでいる人は多くないかもしれないけど、まぁ百で出てくる人物と言えよう。物知りな人はもっと別の歴史上の有名人を連想するかもしれない。僕は所帯じみているからね。それから百と言えばとにかく多いという意味を持っていることがある。「百聞は一見にしかず」とか「百歩譲って~」とか「百人力」とか。同じように千や万が使われることもある。そういうタイプの百もある。他には何かあるだろうか。手頃な数字という流れでは「◯◯ベスト100」というような使われ方をする。書籍でも「◯◯する100の法則」とかある。きりが良くてそれなりの量がある。使いでのある数字なんだろう。そう言えば100メートル競走なんてのがある。きりがいいしちょうどいい。他には1世紀が100年だ。これもちょうどいいということだろう。まぁ人生が50~100年くらいだとすると、きりがいいし分量としても理解しやすい期間なのかもしれない。そういう流れからなんだろうか、100歳というと大台に乗ったな、という感じがする。文句なく長寿って感じ。もちろん99歳でも長寿なんだけど、感情的な部分で100歳を望んでいる気がする。人の年齢だから軽々しく扱うと不謹慎な感じがするけれど、ホームランなら99本より100本になってほしい。同じことだと思う。きりがいいのが人は好きなんだね。そう言ってしまうと百というのは、きりがいいからと、分量的に程がいいという文脈ばかりになってしまいそうだ。世の中のおおよその百はそれに尽きる。そうそう、パーセンテージの100が上限っていうのも同じ理由からか。水の沸点が100℃であることも。このあたりは面白いな。数学や科学の世界で「程良いから」みたいな理由で決まったものがあるなんて。そうでもないかな。よく分からない。それから昔は缶ジュースと言えば100円だった。あれはなんだろう、缶の大きさから100円が出てきたのか、100円に設定したらあのサイズだったのか、ちょっと考えさせられる。他には百円均一の店というのは面白い思いつきだ。「手頃な値段」というのがちょうど100円だったというのは偶然なんだろうか。偶然なんだろうな。へぇ。ああ、百獣の王なんていう言い方がある。この百は「多い」というより「全ての」という意味だろう。万人や万象と同じく無限に近い。そのあたり仏教では7だか8だかが無限とか全部みたいな意味を持っているそうだけど、そういう扱いなんだろう。他にはちょっと違うかもしれないけどcmという単位が一般的に使われているのは手頃な長さである1mを100cmとして表せるからかもしれない。人の身長がだいたい1mのオーダーで、それを100いくらで表せるのはちょうどいい。そんな気がした。他には体重で100kgがなにか大台というか、節目になっている。科学的にも医学的にもなんの根拠もないけど100kgというあたりがやばい目星になっている気がする。こんなところか。