カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr016 2023-02-24

たまに小説で書きたいシーンが浮かんでくることがある。ワンシーンだ。書くなら短編とか掌編とかになるだろう。だけど僕は長編で書きたいので、だから、じゃぁ書こうかということにならない。世界観や設定やストーリーを考えるのが大変過ぎる。ワンシーンのためにできることじゃない。だからいつも、ああ好ましいシーンだな、と思うだけだ。何かもったいない気がするけど、結局のところ書く気がないので仕方がない。でももしかしたら、そういうシーンを書き留めておけば後々役に立つかもしれない。だけど、後で読んで分かるくらいに書くのは、それはそれで大変なんだな。おぼろげなシーンにディテールを与えて、自分がどんなことを想像したのか誰にでも伝わるように書かないといけない。それはもう短編を書くようなものだ。ちょっと大変過ぎる。残念な人である。

ちょっとした入れ物として180g入りヨーグルトの容器を多用している。ちょっとした事情でたくさんあるのだ。付箋を入れたり、薬を入れたりしている。はっきり言って貧乏くさい。何でも自由にできるお金持ちだったなら、別途容器を買うかもしれない。あ、いや、実際ボウル状の皿を入れ物に使っている。お金持ちじゃなくても使ってたわ。フランフランのロウソク皿とかも使ってる。金属トレイとかも使ってる。結構使ってるじゃん。でもヨーグルトの容器も使ってるんだよね。便利がよくって。太田胃散の缶も使ってるぞ。改めて見回すと容器だらけだな。それでこの話はなんの話なんだ。よく分からない。容器についてのエトセトラだ。

エアコンプレッサーを持っている。エアコンではない。エアコンはエアコンディショナーの略だ。それはどうでもいい。エアコンプレッサーだ。空気を高圧で吹き出す装置だ。キーボードの掃除にちょうどいいと思って買った。スプレー式のエアダスターは空気じゃないガスが入っているから、閉め切った部屋でたくさん使うと気分が悪くなる。エアコンプレッサーは部屋の空気を吸って高圧にして出すだけだから気分は爽快だ。いや、普通だ。でも使っていない。一回使ったきりだ。なぜって空気を圧縮するモーターの音がうるさいのだ。まぁ閉め切った部屋で使えばさほど近所迷惑ということもないかもしれないが、僕の気分的に重いものがある。大事感があるのだ。最小型だが2万円くらいしただろうか。もったいない。でも持ってるだけでいい気分。俺は持ってるぞ! という感じがしていい。どうしようもないな。

前にもどこかで書いたと思うけど、日がな一日一銭にもならないことをしていて、何やってんだろうな、と思ってしまう。働けないのだから仕方がないのだけど。僕は人の役に立つのが満足感につながるから、性格的には接客業なんか向いていると思う。バイトしていたときは充実していた。そうでなくとも仕事をしていれば人の役に立っていると実感できる。何か意味のあることをやっているな、と感じられる。いや、僕の各ブログ記事は多少なりとも人の役に立っているのは客観的に理解している。たとえそれが無聊の慰め程度であったとしても、だ。だけど充実した感覚を得ることはできない。書いているときは楽しいけど、ふと我に返ったような瞬間に虚しさのようなものがしみじみと感じられるのだ。まぁちょっと疲れているのかな。今ははつらつさがないからな。