カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr042 2023-03-16

ここ1年か2年かそこら、母の話が唐突になった。前提条件なしに話したい核心部分だけ話すようになった。「道の真ん中に穴が開いていて車が突っ込んだの」みたいなことを言う。そこには「テレビ番組の面白ビデオで見た外国の話である」というのが抜けているから、僕としては最初の1秒くらいは戸惑ってしまう。母はこの手の話をよくするし、面白い話をしているぞという雰囲気が感じられるし、日本の話にしては母の雰囲気に異常な事態だという感じがないので、なんとなく察しはつくのだけど。まぁしかし、こういうことは僕自身もやってそうな気がするし、人のふり見て我がふり直せってやつなんだろうな。

あの、ちょっとよく分からなくなってきたんだけど。エッセイ企画としてのこの「落書き」と、そうではないけどエッセイ形式である普通のブログ記事と、何が違うのかという問題が発生している。考えてみれば、そもそも思うに任せてテキトーに書き綴っていたものだった。だけど僕がこれはエッセイであると認識し始め、エッセイであるならエッセイらしくしなければならないと思ったこと。また、面白くしようだとか、そういう余計なことを思うようになったのが原因なんじゃないだろうか。それでgr039~gr041の3編を書いたことで決定的な問題となって浮上してきた。ここは原点回帰が必要だな。そうだ。そうしよう。

慎重を期して前置きを長くする。冷暖房と暑さ寒さの感じ方についての話だ。僕の体験談、というかいつも感じていること。このことについてツイートしたらいいねが一つ付いたから同じ感覚を持っている人は僕以外にもいると思われる。ただ一般的に聞くことがないから、普通は感じないことなのかもしれない。だから思い過ごしだろうと言われるかもしれないが、僕としては日々感じている現実なのだと訴えたい。前置きはここまでにして段落を新たにしよう。

暖房について言うならこうだ。暖房器具が活発に稼働しているときのほうが、停止しているときよりも暖かく感じる。前者は室温が設定温度に満たなくて暖房器具が活発に稼働している。後者は室温が設定温度に達して停止している。つまり、室温が低くても暖房器具が活発に活動しているほうが暖かい。逆に、室温が高くても暖房器具が停止していると寒い。反対のことが冷房でも起こる。冷暖房の風を直接浴びているからとか、そういう話ではない。いや、直接にではないにせよ部屋を巡る冷暖房の風を浴びているからなのかもしれない。理由はよく分からない。よく分からないが、僕にとっては実際の室温より冷暖房が活発に稼働しているかどうかのほうが重要だったりする。そりゃぁ室温0℃で暖房がフル稼働していても僕だって寒いだろう。程度の問題はある。だけどどうにも、人生の中で感じてきた冷暖房に関する一般の認識と、僕がここ10年くらいで感じるようになった個人の感覚には齟齬があるように思う。なんだろうこれ。突き詰めれば世の中に貢献できるかもしれないけど、どこに話を持っていったらいいのかも分からない。第二の故郷である神戸へ舞い戻って理研に持ち込むこともできまい。そもそも僕だってそこまで自信がないのだし。