カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

父のこと

父とは反りが合わない。僕は父に対して悪い思いはそもそもはない。どちらかと言えば父が一方的に僕を悪く思っているのだ。ただ、父にしてみれば僕の有様や行動が気に入らないのだろう。それはそうだと思う。僕はニートなのだし。父は後期高齢者になってまで、まだ働いているし。そういったことを含めて、父にとって僕は、自分の人生が思うようにいかない象徴みたいなものかもしれない。

僕が子供の頃は、父にとって父の人生は順風満帆だった。ミキサー車の運転手という好待遇とは縁遠い職業にありながら、バブル前からの好景気で収入は上がっていっていた。一戸建てを建てたのは誇らしかっただろうし、そのローンの返済は苦しかったかもしれないが、いくらか余裕のある生活ができていた。僕は小学校高学年くらいから学業優秀で自慢の息子だった。

父は会社では真面目さが買われてデスクワークに配置換えになった。昇進だ。そのことが父を悪路へ誘った。周囲からのやっかみでやっていられなくなって退職したのだ。同じ土建業界の小さな建設会社に転職したことで収入は減ったらしい。また、後のことになるが、この転職のタイミングが悪く年金受給額を大幅に減らせることになったらしい。

それで父が 60 過ぎの頃に僕がうつ病でリタイヤして戻ってきた。自慢の息子が無職で、嫁もなく、キチガイの病気(うつ病とは父にとってそんな認識だ)で、しかもデブ(父はデブがことさらにみっともないことだと感じているらしい)。ちょうどそのころ父は会社で虐めに遭って毎日イライラしていた。それでその会社も辞めて、次の仕事は宿屋の風呂掃除係だ。プライドの高い父にとっては面白くない仕事だろう。給料も安い。普通なら年金で悠々自適のはずなのに、なぜか年金支給額は驚くほど低いし、生活のために働かねばならない。生活費がかかるのは僕が無職でいることと関係がある。それに僕はちょいちょい母にお金の無心をしている。

また、生活態度も父にとって面白くないところがあるようだ。僕は掃除をあまりしない。するとしても年に 1 回くらいだ。部屋の中まで昨今は父は入ってこなくなったが、部屋を出てすぐのところなど掃除がしていない。僕が使うトイレの掃除をするのも父だ。僕から言わせれば必要に応じて掃除くらいするのだが、父との感覚のずれは埋められないし、そのずれを父が考慮することもない。こういうようなすれ違いがあって父は僕に怒りを向ける。表だっては言えないとしても。

それから父は何でもかんでも背負い込んで大変な思いをして、自分は苦労をしていると思い込みたいらしい。食事や食器洗いは父がするし、掃除も父がするし、洗濯も父がする。働いているのは父だけだし、自宅の修繕に、よその家の修繕なんかもやって大変らしい。それでいて僕や母に対しては自分ばかり苦労しているのだという態度を取る。偉そうで威圧的だ。

こうしてみてくると父がフラストレーションを溜めて何かにきつく当たらねばならないことには理由があるのだ。父はかわいそうな人だ。不運な人生の時期に突入し、それでも幸福を感じられるような強さもない。心的に脆弱で、ストレスを怒りに変えて発散せねば生きていられない。いや、むしろ怒りはエンターテインメントだ。怒りにまかせて湿った快感を得ているのだ。

以上のようなことで、ほぼ一方的に父の怒りがこちらに向かってきている。父がいくらかわいそうな人だと言っても、僕が父の怒りを気にしないでいられる理由にはならない。また、僕は父の怒りを気にしないでいられるほど出来た人間ではない。不遇な現状にも幸福を感じられるくらいには成熟しているけど、悪意をスルーできるほどではないのだ。父の怒りは僕のフラストレーションになる。困ったことだけど、どうしようもない。

父は今さら変われないだろうし、他人の変化を期待するのは賢いやり方じゃない。僕が変わるしかない。いちいち気にしない図太さが必要だろう。なんと言うか、僕は金銭的に両親に依存している。毎月のように母に無心していて、その負い目があって父に対して強く出られない。全て受け入れるしかない。そこのあたりも負い目を感じないくらいに図太く生きるべきだと思う。

僕がうつ病の諸症状で苦しんでいた頃、父は会社での虐めに苦しんでいた。虐めのストレスを解放する矛先はこちらへも向く。僕が苦しんでいる様をあざ笑う言動を父はしていた。僕は怒りや悔しさで自暴自棄になってショッピングに走った。まぁ当時の精神状態は普通ではなかった気がするし。なんにせよ父のあんな言葉がなければ買い狂いみたいなことにはならなかったと思っている。ただ、今さらそんな話をしても仕方ない。僕の障害年金から足が出る分は黙って無心するのだ。

僕と父はお互いの不出来さのためにやり合っているような部分があるだろうか。僕は父と喧嘩している訳ではないけれど、親子げんかは世界的名作映画スター・ウォーズのテーマにもなっている。どこにでもある話なんだろう。当事者にしてみれば深刻な問題だけど、端から見たらただの親子げんかか。案外つまらないものだな。