カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

父が惨めな件

父は惨めなんだと思います。田舎のことで一軒家なんですが、ことさらに玄関や窓を隠したがるのです。心理学的にどう解釈すべきなのかは分かりませんが、日頃の言動と合わせて考えると惨めな家内事情を表に見せたくないのです。

父にとって惨めことの第一には自分が七十五歳にもなるのに本気で働いていることでしょう。年金が思ったより少なく(父の世代から少ないそうです)、働かないと僕を含め家族三人で暮らしていけないのです。実際のところはもっと貧しい思いをすれば働かなくてもやっていけるようですが、父としては貧困は我慢ならないのです。

父は貧しい家庭に生まれ惨めに感じながら大きくなったようです。昔のことを惨めだったという話の下りで語ります。冬には壁の隙間から粉雪が吹き込んできたとか、まぁ、なんかそんな話です。父は僕に対してみっともない真似はするなといつも言っていました。それは父が子供の頃にみっともないことをしていたのでしょう。繰り返させたくない思いが表れています。

父の惨めさに拍車をかけるのが僕の存在です。中学生までは町の神童として有名で、卒業式には勉強のお守りになるからと制服のボタンが全てなくなり足りなくて他の物まで持っていかれるほどでした。父はさぞかし気分がよかったでしょう。そんな僕が今では四十五歳にもなって独り者で仕事もせず、なおかつキチガイの病気(うつ病は父などにとってはそんな認識です)なのです。さらにデブ。父はデブなのをことさらに嫌います。そんなことですから、惨めで仕方ないのです。

もうちょっと言うと、僕が中学生だった頃というのはバブルの時代でした。父は小野田レミコンという業界では一流の会社に勤務していました。当時はみんなそうですが、ミキサー車の運転手だとしても正社員です。羽振りがよかったのです。そんな黄金期を経験しているだけに、今の状況が余計に貧しく、みすぼらしく、惨めに感じられるのでしょう。

救いがあればいいと思うのですが、僕にどうこうできる問題ではありません。父に精神的な向上心があればいいのですが、そんな気がしません。と言うか、今の父は惨めなことは元より、気に入らないことばかりあり、そのことに執着するばかりで視野が狭くなっているように思います。救われないまま、いつか死んでしまうのかと思うとかわいそうです。具合のいい宗教にハマりでもしてくれればいいのですが、なかなか難しいことでしょう。ままならないものです。