カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

敗者の弁

僕は敗者だ。ニートだからではないし、これは少し関係するが精神的に病んでいるからでもない。気が狂って暴れてしまったから敗者なのだ。僕が暴れたことを知っているのは関係者だけで、彼らには守秘義務があろうし、僕が社会的に「気が狂って暴れたおじさん」として認識されているわけではない。だがそうであったとしても、関係者である僕の両親や担当の医師にとって僕は「気が狂って暴れたおじさん」なのだ。この事実は、僕がどう言いつくろったところで変わることはない。だが、それでも、聞いてほしい。敗者の弁を。

当時の僕の鬱病の症状は悪くはなかった。どちらかと言えばよかった。普通の仕事を普通にしていたし、普通の生活を送っていた。だが問題がなかったわけではない。父との関係が悪かった。険悪だったというのではない。だが、過干渉の父に対して、遅い親離れをし始めた僕という組み合わせが良好な状態につながることはない。また、父の精神状態が悪かった。後で知ったことだが会社で嫌がらせを受けていたらしい。父は家で常に不機嫌だった。不機嫌な父は余計に僕の行動が気になるらしく、過干渉はより強力になる。そして僕は昔から父が恐ろしかった。怒る父が恐ろしかった。恐怖に対して人間は二つの反応を示す。萎縮するか、反発するかだ。僕は常は萎縮していた。父の顔色をうかがってびくびくしながら生活していた。だが父が僕に関わろうとすると強く反発した。スルーできなかった。恐怖の感覚は怒りの感情になって反発した。そんな日々が続いていた。僕の中には鬱屈した思いが蓄積していった。

いつからか僕は感動のような感情があふれ出すようになっていた。車での会社帰りにかけた音楽に感動して大泣きした。このことは医師に話している。僕は異常だと感じていたが医師には、感情の起伏がなくなる鬱病の僕にとっていい兆候だと感じられたようだった。しばらくすると夜中の自室で感情が高ぶり物を壊すようになった。感情が高ぶったというのは、あるときは両親に対する怒り、あるときは両親に対する感謝、またあるときには不甲斐ない自身に対するやるせなさのようなものだった。これについて医師に相談した記憶はない。僕は忘れやすい性質だから医師の診察の際にはすっかり抜け落ちていたのかもしれない。もしかしたら実は医師に話してはいて、医師の判断が様子見だったのかもしれない。とにかく、この感情の高ぶりに対する処置はなされなかった。

ところで、僕は自身の病名について「鬱病」と伝えることが多いが正しくは「躁鬱病」だ。病名は途中から変わった。最初は鬱病だった。事件の当時も鬱病だった。いつからか躁鬱病になった。切っ掛けは覚えていない。あるとき精神障害者に指定してもらうための書類に「躁鬱病」とあって知った。確かに僕が病気を起源とした躁状態になることはない。気分を上げる薬の量によっては中程度の躁状態になる、くらいだ。中程度というのを説明すれば、まぁ、気分がよくて声が大きくなったり、おしゃべりになったり、財布のひもが緩くなるくらいだろうか。まぁ、今となっては薬が効きにくくなっていてODしても躁状態にはならないのだけど。だけどやっぱり単純な鬱病患者とは言えないのだ。暴れてしまったのだし。

理由は覚えていない。おおかた夜中の台所で何か食べていた僕を父がとがめたのだろう。僕は酒に酔ってもいた。そこから途中まで覚えていない。きっと言い合いになったのだろう。記憶があるのは僕が本気で父を殺したくて殺そうとして襲い掛かっているところだ。まず目を潰そうと必死になっていたのを覚えている。酔っ払っていてよかった。包丁が近くにあったのだし。それで母が警察を呼んで、そのあたりで急に僕は我に返った。駆け付ける警察官を待って、警察官のところへおとなしく進んだ。車の後部座席に座って、ご迷惑をおかけします、というようなことを言っていたはずだ。それから一晩は拘留されて、翌日そのまま入院した。記憶が曖昧なところもあるが、僕が敗者になったあらましはこんなところだ。

これはどう読んだところで僕が気を狂わせて暴れたのだとしか言いようがないのは仕方がない。仕方がないが僕としては言いたいのだ。僕が暴れる切っ掛けを作ったのも理由の一部も父ではないか、と。父に対して怒りや恐怖が鬱屈して蓄積している僕が酒を飲んで夜食をかっ食らっているところに、その怒りや恐怖の対象である父がやってきて嫌事を言ったらどうなるか。父に僕の気持ちなど知る由もない。だけど、あのときの僕に声を掛けるのは間違っていた。例えそれがなんだか知らなかったとしても、ダイナマイトの導火線に火をつければ爆発する。爆発したダイナマイトに責任があるだろうか。確かに法的にはどれだけ罵詈雑言を浴びせられようとも手を出したら暴行容疑で逮捕だ。だけどそこには道義的な責任が片方にしかないとは言えない。

そもそも僕にどうしろというのだ。結果的に3社を出社拒否で辞めることとなるくらい対人関係でストレスを溜めやすい僕が職場でストレスを抱えて帰宅し、恐怖の対象から過剰な干渉を受け、酒に逃げ、夜食に逃げ、もう行き場をなくしている僕に、最後の舌端が火を吹いた。俺か、俺が悪いのか!? 耐えて耐えて自殺すべきだったとでも言うのか! と、わめき散らしても結局僕は気が狂って暴れたおじさんでしかない。両親の前で、医師の前で、論説を放ったところで、困ったような哀れむような目で見られるだけだ。敗者なんだ。