カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.25 - 高尚なものへの憧れ

高尚なものへの憧れがある。高尚と言うか頭よさそうなことだ。僕は自分が頭いいと思っていないといられない。中学生の頃は地元の小さな町の神童だった。そのときの感覚が染みついているというのか、自分は頭いい、頭よくないと存在する意味がないというような観念になっている。だけどそこまでの才能はなかった。挫折した。頭よくない。頭よくないのは知っている。知っているけど頭いいと思ってないといられない。そんな僕は頭いい日とのたしなみを持っていないのだけど、持っていないから憧れがある。哲学であるとか、コンピュータシステムを操るであるとか、そういうことに憧れがある。触れてみることはあるけど、難しくて手が付けられない。だから憧れなのだ。憧れて、高尚なつもりになったりもする。Twitterで人が言っていることが理解できないと腹が立つ。頭いいつもりだから、知らないことなんてないはずだし、難しいことだって理解できるはず。だから分からないことなんてないはず。なのに分からないことがあると反発してしまう。Twitterでの発言なんて文脈が分からず理解できないのも当然だったりするのだけど、そういうのは関係なかった。数学は暗黙の不可侵地帯だ。触れてはならない。頭いいつもりだから数学なんてなんでも分かるはずなのに、なんにも分からない。この領域は触れてはならない。見て見ぬふりだ。憧れすら抱けない高みにある。見たら目が潰れる。取り繕って、自分は頭悪いからさっぱり分かりませんというポーズを取って逃げている。卑怯者め。腰抜けめ。