カメリアの記事

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幸福ドリブンなら、健康被害のない麻薬を開発すべき

我々は幸福ドリブンじゃない。人生の、社会の、目指すものは幸福のはずなのに幸福を一番に求めてはいないのだ。秩序のほうが優先されている。「健康被害のない麻薬を開発する動き」がないことが証明している。

現時点での社会において一定以上の幸福を得るのは難しい。仕事に追われながら、家事に追われながら、なんだかんだで「それなりの幸福」は誰でも手に入る。おおよそ誰でも分相応の幸福を得て人生を終えていくのだ。だがそれ以上となると難しい。お金の問題とも言い切れない。精神的な成熟というか、悟りに近いものが必要になるだろう。

麻薬は簡単に幸福になれる。ただ健康被害があり、最終的に不幸になるから問題なのだ。ならば健康被害のない麻薬を開発すればいい。話は単純だ。実際には依存性がどうの、使っているうちに効かなくなってくるとか、問題はあるだろう。しかし、そいうったことの起こらない麻薬を開発すればいい。難しいかもしれない。だが幸福ドリブンなら、幸福を一番に考えるなら、考慮に値するはずだ。

だけど現実にはそうなっていない。麻薬による幸福が軽視されてるのだ。というか忌避されている。単なる「気分的な問題」で。人間とは脳で感じて生きている。人間の幸福とは、脳内で幸せ物質が分泌されることだ。これは科学的に正しい。脳内で幸せ物質を分泌させる手段は関係ない。精神的に成熟して分泌するのか、麻薬で分泌するのかは関係ないのだ。前者では何千年何万年かけてもたどり着けなかった。いい加減に気づけ人類。後者を模索する時期だ。技術的には整ってきている。

しかし、上述したとおりこういう方法は忌避されてる。秩序のほうが優先されてるのだ。と言うか、秩序と言えば聞こえはいいが、既往のやり方に固執しているのだ。幸福を一番に求めて一歩を踏み出すよりも、保守的になってこれまでどおり、まあまあの幸福で満足することにしているのだ。ムーンショットなんて言って輝かしい未来へ進んでいるように見えて、実は一番求めるべきものを求めていない。幸福は軽視されている。考え方を改めるべきだ。