カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - まあまあだった

起床

5 時すぎに起きた。起きてみたらパソコンがインターネットに接続されていなかった。ルーターの問題かもしれないし、楽天モバイルの不具合かもしれない。楽天モバイルは昨日、障害が発生したみたいなので、それが再発した可能性がある。ルーターを再起動したら復旧したけど、それは楽天モバイルが提示した復旧の手段だ。

Google にフィードバックを送った。表計算の式で検索したら答えを返してほしい、というお願いだ。ちょっと日付の計算がしたくて =DATEDIF(…, …, …) などとしたかったのだけど、表計算アプリを起動するのは面倒だ。わずかな時間だけど、なんとなく忌避してしまう。検索で式が使えたら素晴らしい。

朝食

朝食は味噌汁と、大根おろしと、目玉焼き。

朝食して、濃いコーヒーを飲んで、タバコを吸って、調子はまあまあ。

午前中

ちょっとだけ小説制作をしていた。長編ファンタジーop12 だ。プロットを考えていたのだけど、考え始めはやけにテンション高かったんだけど、気がついたら低くなってた。なんだか体がだるい。どうしたことだ。ああ、だるい。横になった。( 7 時すぎ)

Twitter していた。時間が溶けていく。たまにリツイートしたやつがいいねされる。ごく希に自分のツイートがいいねされる。それは快感なんだと思う。快感を得ようと TL に釘付けになる。承認欲求が満たされない境遇の人にとっては依存性のあるシステムだ。恐ろしい。( 8 時)

小説制作に戻った。元気はそこそこよくなった。でもちょっと疲れてきたかな。なんだか思考がうまく回らない。うまく考えられない。思考が明晰じゃない。休憩が必要なのかもしれないし、まずい思考パターンにはまっているのかもしれない。よく分からない。よく分からないけど、前者のような気がする。( 9 時半前)

腹が減って活動が制限されてきた気がする。それにしても朝のハイテンションがどこかへ行ってしまった。明晰じゃない。不要なものが頭に溜まっているようなイメージがする。

気づけば 10 時半。何をしていたんだろう、という感じだが Twitter を眺めていた記憶しかない。なんて無駄な時間を過ごしてしまったのかと思う。だけど空腹で元気が出なくて寝転んでないと何もできないし、寝転んでいたからといってなんでもできるわけじゃない。結局のところ Twitter をするくらいが関の山なのだ。こんなこといつまで続けるんだろう。病気になって死んだほうが幸せな人生を送れるかもしれない。( 10 時半)

しばらく Twitter をしていたが、途中からブログ記事を書き始めた。いや、最初はフリーライティングだったのだけど気がついたら妙に意見的な色合いが濃くなっていて、じゃぁブログ記事にするか、となった。でもお蔵入りすることになった。なんとなく気分がそがれてしまったのだ。( 11 時半)

昼食

昼食は焼きそばと、昨夜の残りの天ぷら。天ぷらはほぼカボチャを食べていた。僕はカボチャは好まないのだけどカボチャばっかりだった。

午後

あれ、何をしていただろう。 Twitter をしていた。それから画面がダークテーマなので気分に対して重くのし掛かってくるような、熱がないような感じがしたから全てライトテーマに変更して、しばらく過ごした。でもなんか気分がのったりと、粘土のようなボテッとした気分になってきたので、彩色に変更してみたんだけど落ち着かず、結局ダークテーマに戻すなどして時間が過ぎていった。まぁそれをやっていなければ有用に時間を使えたかというと、ちょっとやる気が出なくて難しい。なかなか困難な日を送っている。( 14 時)

2 時間とちょっと、夕方まで「差別感情の哲学」の続きを読んでいた。向上心は差別の感情に結びついているとされていた。向上心とは人より優れたいという思いだと解く。つまり他人を下に見て優越感を得ようというのだ。それは人を軽蔑することとなる。この本では、だからといって向上心を持つなとか軽蔑するなとかいうことではなく、自己批判的であれと繰り返されている。それにしても、僕としては向上心が人より優れたいという思いとイコールではないように思う。僕にしても小説を上手に書きたいという思いは人より優れたい思いと直結していない。純粋に向上したいと感じているつもりだ。それとは別のところで人より優れたいと思っているけれど。( 17 時前)

上記の本でも同じように言われているけど、排他的・攻撃的な心理は恐怖から来ると僕は考えている。自分の感覚とズレるものに対して持つ怒りというのは、自分を否定されていることへの怒りだ。人は自分が正しいと思っていないと平穏でいられない。自分と相容れないものは「自分は正しいという認識」への脅威になる。そういった脅威と戦う感情こそが怒りなのだ。というのが僕の考えだ。まだもうちょっと周辺に考察を広げたい。

総括

今日はまあまあだった。一日の半分くらいの時間は無為に過ごしてしまったし、それは精神的にいい状態ではなかった。だけどもう半分は機嫌良く小説制作できていたし、読書中も悪い気分ではなかった。そうするとイマイチと言ってしまうのは下げ過ぎなので、まままあ、ということで。