ファンタジーにリアリティは必要か、という話を耳にします。プラスティックが存在したりしていいのか。議論するまでもないことですが、僕としては議論せねばいられない事情があります。
リアリティ
まず「リアリティとは何か」をはっきりさせる必要があります。これは長い話をしても仕方ありません。「その作品らしさ」です。中世ヨーロッパ風だからといって中世ヨーロッパのリアル(真実)が描かれる必要はありません。場合によっては中世ヨーロッパ風の中にプラスティックが登場することもあるでしょう。
背景
いくらか問題になってくるのは作品の背景ではないでしょうか。作品が読まれている時代・時期・媒体・カテゴリーにおける一般的な世界観がどうしても浸透してきてしまいます。浸透する隙間もなしに世界観を書き込みでもしなければ、読者が既に持っている概念として一般的な世界観を共有することは避けられません。
プラスティック
リアリティは必要です。リアリティがないということは読者を裏切ることです。リアリティが「その作品らしさ」であるとするならば、リアリティを欠くというのは「その作品らしさ」を失うということです。ハードな作風だったのに、ゆるい作風に変わってしまえば裏切り以外の何物でもありません。ハードな作風の中世ヨーロッパ風作品にプラスティックを登場させてはならないのです。
裏切りの効用
前述で裏切りを悪しげに言ったわけですが、作品的に十分な意味を持っているなら問題ないように思います。例えば清純派だったヒロインが誰にでも股を開くようになったとして、酷い裏切りを受けるわけですが、そこにこそ作品の大きなテーマが潜んでいるのだとしたら、そういう作品なのだと受け止めるべきでしょう。
雨後の竹の子
物や習慣だと話は分かりやすいですが言葉ではどうでしょうか。これも物や習慣と同じくリアリティがあるかどうかで判断すべきでしょうが、人によって選り好みが変わってきそうに思うのです。中世ヨーロッパ風の物語で「雨後の竹の子のように~」と言っても何も感じない人もいれば、違和感がある人もいると思います。この幅が広いのではないか、と考えると語の用い方は難しいような気がします。
事情
作者は自由です。読者が自由である上において、作者も自由です。どんな作品を書いてもいい。ただ、読者としての僕が悲鳴を上げます。僕が読みたいのは僕が夢想する世界の物語で、それはおおよそ中世ヨーロッパ風+ケルト風のファンタジー世界の物語です。ちょっとハードなものが好みです。ですが世の中(ウェブ小説)はゆるい作風に偏っていっています。読者としての僕にとって好みと外れますから、面白くないのです、この風潮が。だから「自由に書けばいいんだよ」という言の意図は置いておくとしても、アンチの立場にならざるを得ないのです。