カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

作者の自由と読者の自由

趣味で小説を書く場でよく言われるのは「何を書いても自由だ」ということです。本当にそうでしょうか?

書く自由

何を書いたらいけないか、法律はないんじゃないでしょうか。よく知らないけど、聞かないからないでしょう。ハウツー本には「こう書きなさい」とあります。とは言え書き方が右も左も分からない人に対して方向を示しているのであって、書かねばならないというわけではないでしょう。例えハウツー本で厳しく規定されていても、僕らが縛られる義理はありません。

読む自由

対して読者は、論ずるまでもなく自由です。好きなものを読み、気の惹かれないものには見向きもしません。読んでいて途中で見限ることだってあります。

失われる自由

作者は読んでもらいたいですから、自由気ままに読む読者の気を惹くよう腐心することになります。そうなると我流ばかりで勝手気ままに書いているわけにもいかなくなります。どうやったら読まれるのか。研究してそれに合わせていかなくてはなりません。そんな中で「こう書かなくてはいけない」というものが重くのし掛かってきます。

ウェブ小説は自由だった

しかしウェブ小説の界隈を眺めていると「自由にやろうぜ」という雰囲気が支持されています。まぁ誰しも自由に書きたいでしょうから支持されるのも当然なんですが。当然なんですが、それとはまた違う方向で。書籍と違って受け入れる側が多いというのか、柔軟だというのか、若いというのか、とにかく自由に受け入れられているように見えます(非難も多いようですが)。