カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

下心的なナニカ

恋人に「君だけを愛してる」とは、突っ込まれそうで言えなかった。

恋人とは別の女性と歓談していたし、とても楽しかったことを覚えています。楽しい会話は性別に関係なく成り立ちますが、僕は自分の中の下心を否定できません。相手が女性だから気分が華やぐということは確実に僕にはあります。下心という語が正しいのかは分かりませんが「相手が恋愛対象であることに起因する気分の向上」とでも言えばいいでしょうか。

ここでは僕についての話をします。

制御不能

言動の制御であったり、恋愛感情に発展しないよう制御するといったことはできます。でも恋愛対象であれば必ず好気分というようなものが生まれます。生まれること自体の制御は難しいでしょう。予想ですが、別の感情で塗りつぶしたり、悟りを開くなどすることになるのではないでしょうか。つまり通常、恋愛対象であれば誰彼なく見境なしに生まれてしまうのです。

恋愛対象

ここで分かりにくいのが恋愛対象とはなにか、ということです。非常に複雑なパラメータによって構成されています。主に容姿。女子高生の見た目なら 100 歳の老婆でも恋愛対象になるし、逆ならなりません。立場によっても異なります。友人の妻なら恋愛対象になりづらいですが、誰とも知らない夫を持つ人妻なら恋愛対象になってしまいます。自分の心に余裕があれば大勢が対象になりそうですし、余裕がなければそれどころではありません。

自分基準

僕は自分が基準です。世の中みんな僕と同じだと思っています。そこからすると僕が交際する相手も僕と同じ思いを持っているんじゃないでしょうか。焼き餅を焼いてしまいますね。自分の感覚・感情の存在を否定するわけにもいきませんし、考えないようにするしかありません。いや、逆なのか。普段は気にしていないことでも、何かあると自分基準で気になって仕方ない。これがいわゆる焼き餅なのだと。