カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 論破するなと説得したい

昨今のいわゆる論破というのは暴力で言うことを聞かせるのと同じ。突然キレて暴れだすようなものだ。

誰もがいつもディベートに臨むようなつもりで生きているわけじゃない。論理ばかりではやっていけない。言わば、論理において穏やかに生きている。そこへ持ってきて、論理において強硬な手段に出る。力づくでねじ伏せるわけだ。つまり論理的暴力と言える。

いわゆる論破の根幹にあるのは「法規制されてないなら何をしようが自由だ」というものだろう。つまり「あなたが私の行動に干渉するのはあなたの事情からだ。私が従う理由はない」というのだ。それは正しい。正しいのだけど、そればかりでは世の中が成り立たない。

例えば列に割り込んでおいて「割り込みは法規制されていませんから、あなたが文句を言うのはあなたの事情ですよね。それでも文句があるなら法廷で会いましょう」というわけだ(迷惑条例とかにあるんか知らんけど)。法云々となれば力づくで割り込みを阻止するわけにもいかない。文句を言う側が裁判で勝てるとしても、裁判なんかしたくない。弱みにつけ込んでいる。卑怯なやり方だ。そんなものが世間一般にまかり通っていたらやってられない。

いわゆる論破をショーで見せるから面白みがあったり公共の福祉に寄与するのだ。生活の中でそんなことを言いだしたら人間関係が破綻してしまう。誰もが損をする。言っている本人だって損をするというのに。

僕らが相手の行動を変えさせるのに用いるべきは論破ではない。説得だ。暴力はいけない。