カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 決断

例えば誰かが遊興のために大きな借金を背負ってしまったとき。周囲はまるで当人が間違った選択をしたように扱う。ここには大きな間違いがある。

当人は決断をしなかったのだ。自分の欲求も含めた「流れ」に身を任せていただけだ。断ち切る決断ができなかった。これを責めることには問題がある。

何においても人は責められるべきでない、というのが僕の主張だけどここでは置いておこう。

責められても悔いるポイントがないのだ。決断をしたわけじゃない。正常な状態から問題のある現状へ至る決断が存在しない。当人以外は好きなだけ責められるだろう。瑕疵があるのだ。だけど当人に届かないと意味がない。当人にとってはどこどう修正したらいいのか分からない。責められれば内心にもおろおろするばかりだ。

懇切丁寧な説明とケアが必要だ。周囲は迷惑だと感じるだろう。だけど周囲が現状でそこに立たされているのは、今さら仕方のないことなのだ。もう関わってしまっている。関わってしまったことについては、もう自分の内のことだと認識すべきだ。あなたの問題でもあるのだ。災難かもしれない。だけど災難を責めても始まらない。起こったことは仕方ない。前を見て対応するのが建設的だ。