カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 懐中

懐中電灯を懐に入れる人は少ないだろう。懐と限らずポケットも含めれば人数が増えるだろうけど、それでも一般的とは言えない。そもそも懐中電灯という字義どおりの概念が、現代においてはなくなっている。まぁそもそもと言いだすと懐中という語そのものに字義どおりの意味があったのか知らないけれど。

それはともかく、どこもかしこも明るくなった現代において電灯を持ち歩く必要はない。懐中になくてもいいのだ。どちらかといえば夜間の停電に備えて設置しているくらいが普通だろうと思う。

「懐中」という概念は市民権を失った。今どきは「携帯」と表するのが普通に感じる。30年くらい前からだ。それ以前の「携帯」はもうちょっと大きな物を指す雰囲気があった。それこそショルダーバッグくらいのサイズの携帯電話とか。サイズ感からすると昨今の「携帯」と「懐中」は同じくらいのように感じる。言葉文化の変遷だなぁみたいなことを思う。

字義どおりの使い方がされなくなった懐中電灯に対して、未だ字義どおりであり続ける「懐中」もある。懐中時計だ。懐中時計は懐中時計のまま進化しなかった。別の概念で腕時計に立場を取って代わられたからだ。ここになにか面白みを感じる。

懐中電灯は現代に生き残ったがゆえに「懐中」が有名無実みたいなことになっている。逆に懐中時計は使われなくなり時代に取り残されたために「懐中」が字義どおりの意味を保っている。いやぁ文化文化。文化って面白いねぇ。