カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

1時に起きた。朝一からやる気がない。昨夜、ビール飲んで菓子パンを食べたのが存在感のある罪悪感となって心の重しになっている。昨日は昼間にも食べまくってたし、食べる日だった。そんな日もある。自責の念は捨てるに限る。

なんとなく気分がすっきりしなくてノベルスキー(SNS)をしていた。リアクションするばかりだったけど。そろそろ小説制作しようかな。

小説制作をした。op57の本文執筆だ。この作品は昨夜思い立って書き始めたもので、op2の書き直しになる。op2はプロットなし、本当に思い付きだけで書いていた作品だ。一文書いたら次の文を数秒以内に書き始める。即興小説とも言える書き方をしていた。途中で書くのをやめているけれど。まぁそういうことで内容は前に書いたやつを参考にしながらサクサク書いていった。今朝の1時間半だけで2000文字以上書いている。このくらい書くのが速い人がいるけど、案外に即興で書いているだけなのかもしれない。昨夜は第1話、今朝は第2話を書いた。

眠くなってきた。猛烈な眠気だ。寝た。もう寝るしかない。5時すぎに起きた。腹減った。

午前中

眠くて寝た。8時すぎに目覚めた。本日3度目の目覚め。

「バレなければ犯罪じゃない」という考え方がある。倫理的かつ感情的な部分で納得のいかない人は多いだろう。でも例えば本人に犯罪の自覚がない場合、バレなかったらどうなるだろう? それはもう犯罪じゃない。犯罪を規定しているのは人間だ。その人間のすべてが関知しない出来事というのは起こっていないと同じことになる。そこに犯罪は存在しない。冒頭の言い分は確信犯のものだから最低でも1人は関知しているので、犯人にとって犯罪なのかもしれないけど、これは本人によって握り潰される。結果として犯罪の存在は消滅するのだ。

前述について別の話がある。僕にとってブラジルは必要か?という問題だ。年齢のいった人ならトゥルーマン・ショーという映画を知っているかもしれない。主人公のトゥルーマンが暮らす街は撮影スタジオのセットで、トゥルーマン以外の人物は全員役者だ。トゥルーマン1人がその世界を現実だと思って暮らしている。この作品で考えるなら、この街の外の出来事はトゥルーマンにとって必要だろうか? 存在していなくても彼にとっては関係がない。街の中で人生が完結している間はそれで十分なんだ。同じことが僕にとっての例えばブラジルについて言える。僕にとってブラジルが存在する必要はない。ブラジル産のコーヒー豆とアマゾンのニュースがあれば実際にブラジルが存在していなくても僕の人生には何も影響がない。僕が知らない、ブラジルで暮らす2億人の人たちが存在するかどうか僕には関係がない。つまり知らないものは存在してないことと同義、と考えることができる。これは思考実験だから実際にそうはならないけれど、同じように知らない犯罪は存在してないことと同義と言える。

さて、何しようかな。なんにもやりたいわけでも、やりたくないわけでもない。そんな感じ。

読書し始めた。カクヨムのライトノベルだ。わりと楽しめた。

午後

結局、読書の続きをして夕方になった。こんなに楽しめるのならもっと前から呼んでいればよかった。夜になっても読み続けて日記を書くのが遅れたし、入眠のタイミングを逃した。いいんだかわるいんだか。

総括

今日はそこそこだった。読書に没頭してしまったのが僕にしてみればマイナスだった。悪い時間ではなかったのだけど。