父がなんだかご立腹らしい。えらい怒っている。何に怒っているのか分からないけど、舌打ちしたり何かを罵るようなことをつぶやいている。怒りというのは人間が小さいから生まれるのだ、と自戒とともに怒る父への恐怖を和らげる。怒りとは恐怖に打ち勝つために生まれる感情だ。怒りの根底には恐怖がある。多くは自分の立場を危うくするようなことについてだと思う。例えば父は、僕が父の存在を否定して立場を貶めるのではないかという恐怖と戦っている。だから何かと僕のことで腹を立てるのだ。男同士の親子で起こりやすい構図だ。怒りが生まれるのは自分が至らないからだ。強い存在になれば脅威がなくなるから怒らないようになるが、それは本物じゃない。自分に匹敵する存在が現れれば怒りと直面しなければならない。本物というのは何も恐れない。自分より強い存在にも、貶められることにも、何にも恐れない。あるがままにあること。それが重要なんだと思う。思ったところで実践するのは難しいのだろうけど。
この場にはもうちょっと気楽なことを書いたらいいんじゃないかと思う。最近は硬いことを書いているような気がする。もっとどうでもいいことを書くほうがいいじゃないだろうか。そもそも説教臭くていけない。なんて言ってもなぁ。何かないかなぁ。
飼い猫のウンコが廊下に落ちている。毎日のように落ちている。面倒だから放置しておいて、気が向いたときに回収すればいいだろう、というスタンスだった。だけどそうすると母がため息を吐きながら拾うことになる。それでは母に悪い。僕は面倒だからやらない。面倒でなければいいのだ。そもそもウンコを始末する度にトイレットペーパーに包んでトイレに流していた。水道代もバカにならない。そこで思い付いたのだゴミ箱のような容器に割り箸でつまんで回収していけばいいじゃないか。溜まったら燃やすごみに出す。素晴らしい。ということで小さめのゴミ箱をAmazonに注文――せずに、大盛カップラーメンの空きカップを新聞紙で包装して(英字新聞ではない)見た目をそれとなく風景に馴染むようにし、割り箸とセットで廊下の隅に置いていた。回収も上手くできている。あとは夏になって虫が湧かないかどうか、そこだけが心配だ。
毎日何やってんだろう、という気になる。飯の種にするつもりの小説制作はさっぱりやってない。まぁこんなこともあろうかとは思うものの、毎日プログラミングしたりブログ記事を書いて過ごすというのも貧乏性の僕にはクるものがある。だけどそんなことではダメだと思う。どっしり腰を据えて大きく構えていなければ大事は成せない。どうせ普通からは外れた人生だ。やりたいことをやればいいんだ、と自分に言い聞かせる。