カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

2時すぎに起きた。

昨夜活動量を計るための入力文字数を表に記入するのを忘れていて、やったんだけど数字が増えていない。おかしいなーってことで数え上げるプログラムを手直ししていた。そんなにやったつもりはないけど1時間くらい経過していた。朝からプログラミングの気分になって小説制作が進まないかと心配したけど、そこまでやり込んではいなかった。よかった。

ファミマにAmazonの荷物が届いていて引き取らないといけなくて、ファミマにタバコを買いにいくついでに済まそうと思っていた。実際ファミマに行ったらスマホを忘れていてダメだった。出直さないといけない。父や母に荷物を見られたくない――買い物してると思われたくない――ので慎重に時間を見極めなくてはなぁ。

小説制作をした。連作短編の計画だ。昨日から考えているものの続きで、どんな展開なら可能かを探っている。途中までは思いつくのだけど、それをどうやって終わらせるかがわからない。頭で考えるばかりでなく、問題を文字にして思案すれば思いつくような気もするけれど、それはなんとなくやっていない。なんとなくってのがいかんかな。朝食したら書き出してみよう。

午前中

小説制作をしていた。効率のいい時間も悪い時間もあった。ノベルスキー(SNS)にちょいちょいかまけてみたり、なんとなくぼやぼやしたりした時間があった。それでもおよそ3時間の小説制作の時間だった。まとまって作業できてよかったと思う。集中してなかったからこその3時間というか、集中してなかったから3時間もかかってしまったのかはわからないけど。

母が大掃除をしていた。窓拭きだ。手伝おうという気にならない。手伝わなきゃならんという気持ちにはなるんだけど、なんとなく気後れしてしまう。それはもしかしたら、母が既に大半を終えていて今さらなのかと思われるかもしれない、という感覚からかもしれない。実際やってみると体調が悪くなるかもしれなくて、あまりいい思いをしないかもしれないけど、この際それは問題ではない。やはり僕の不徳のいたすところなのだろうと思う。

午後

11月に入ってすぐくらいに、急に寒くなった日がある。そのとき着込んだ日は、それ以来ない。慣れたというのだろうか。花粉症でもそうだ。時期が来てある日どかっと鼻水を垂れたら翌日からそれほど困らずに過ごしている。そういうものだとわかれば適応できるというものだ。しかしいつだったか買った4個の鼻炎点鼻薬がなくならない。

シャコバサボテン(クリスマスカクタス)の花が来ていて、摘んで母にあげた。迷惑かもしれないけど、まぁいいや。

やる気を出すのがおっくうに感じられる。やる気を出すためのやる気がないのとは違う。やる気を出すと疲れることがわかっているので、やる気を出すことに忌避感があるのだ。難しいお年頃だな。

読書していた。昨日から読んでいる「中世の裏社会」という本だ。裏社会というか今読んでいるところには犯罪者について書かれている。夕方になって読んでいた部分には裁判についてあり、証人の数で判決されたり、煮え湯に手を突っ込む神明裁判だったり、決闘だったり、いろいろ書かれていた。決闘の流れで書かれていたのだけど、そもそも勝負の結果は神による裁定であると信じられていて、そのことが戦争の神聖性につながるのだというようなことだった。

総括

今日はそこそこだった。そこそこ元気があってそこそこ活動できた。悪くはないし、いい具合ではあったけど、どれもそこそこだった感じがする。