カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.125 - コミュニティ

2023/01/26 コミュニティは人の集まりだ。僕にとって身近なコミュニティはLINEオプチャだ。Twitterはコミュニティというより広場とかそんなイメージだ。オープンで、コミュニティの持つ境界線がない感じがする。コミュニティはクローズドな感覚がある。集まりというわけだから、集合だ。Twitterは開放的な世界であり、公共的でインフラで、どうも違う気がする。コミュニティはそこ独自の雰囲気や文化がある。人間関係が濃い。コミュニティという語を意識したのはいつだったか。まぁ知らないうちに知っていたくらいには一般的な語だとは思うけど、でも僕にとってちょっと異質な特別な感じがする。わりと年齢がいってから認識したように思う。使い始めたのは最近だし。それまではあまり分かっていなかったかもしれない。ところで、コミューンという語もある。近い意味合いだけど、コミュニティより狭い小さい集団だ。たぶん。この語を認識したのははっきり覚えている。アニメの攻殻機動隊の中で出てきた。個別の十一人の話だったかな。何か僕の知らない世界の言葉のような印象で、ちょっと嫌な感じがする。最近はそうでもないけど。それはともかくコミュニティはそこらちじゅうにあるだろう。それは上で言った境界のはっきりしたものばかりでなく、曖昧なものもあるだろう。小さな社会というか。そういう意味ではTwitterだってコミュニティを形成している。Twitter全体としてはコミュニティというには広すぎるイメージだけど、そのなかで曖昧なつながりがあってコミュニティっぽいナニカを形成している。コミュニティに属することは社会性を持つことになる。属していないと孤独な感じがする。それこそ公園に一人たたずむような。それに対してコミュニティに属するというのは、わりと積極的に社会と関わっていこうとする意識があって、そういう意識について社会性というのかもしれない。僕もコミュニティに属していて、それは僕としては社会性を持つべきだというような意識を持って参加した。それまでの僕はTwitterでしかSNSに参加していなくて、社会性というより好きなことを自由に何も考えずに言い放っている感じだ。悪いわけじゃないけど、もっと人と関わるべき何じゃないかという思いがあった。それにしてもコミュニティでは人間関係が濃いから、軋轢みたいなものもある。意見の衝突であるとか、主義の違う意見に面白くない思いをすることもある。