カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.110 - 電書

電書は電子書籍のことだ。僕はKindleでしか知らない。電書はスマホとかで読むことができる。逆に言うとスマホとかでしか読むことができない。デジタルデバイスが必要だ。しかし今どきスマホは当たり前になってきているから読むことの支障になりはしないだろう。いや、でも小説くらいならスマホの画面の小ささでも問題ないと思うが、参考書などとなると難しいか。タブレットが必要だ。タブレットを電書のためだけに買うのはちょっと高い気がする。AmazonではFire端末を通常のタブレットより安価に販売しているから障壁は低くなっているように思うが、それでも高い。Amazonとしてはそのタブレットで漫画を売ろうとしているような気がするが、その目論見に付き合ってくれる人は少ないんじゃないだろうか。でも電書で多く売れているのは漫画なのかもしれないと感じる。漫画は売れ筋だ。それはともかく電書は紙書に比べて著者の取り分が少ないような気がしている。儲けが少ない。だけど電書は古本になることがない。長期的に見れば著者の権利を守ってくれるのかもしれない。逆に古本という文化が廃れていくのだろうけど。古本の恩恵に与っている僕としてはちょっと感じるものがある。それから電書は僕が所属する小説制作コミュニティでは不人気のようだ。彼らは紙書が好きなように見える。アナログ書店へ行くのが好きなようだ。僕は小説はもっぱらKindleだ。場所を取らないのがいい。読書体験も悪くない。僕は引きこもって生活しているが、電書なら家の中を歩く際に歩きスマホして常に読んでいられる。部屋を暗くしていても読んでいられる。電書はそういう点がいい。電書は古本として売ることができないが、紙書を売ったとしても新刊でもなければ大した値段にならないだろう。そうであるなら昔買った電書がいつまでも読めるのはありがたいことだ。いや、しかし電書はデータをダウンロードする権利を買っているだけなので、電子的な書籍を買っているというわけではない。Amazonがサービスを終了すれば僕は全ての電書を失うことになる。なんとなく希薄な存在と言えるかもしれない。そういう意味でも参考書は紙書を買っている。電書は全文検索できるところが強い。これは強い。ただKindleに不満があるとすれば全所有書籍を対象に検索できたりしないところだ。これができればどんなに便利だろう。現状では検索したい作品を探し出して検索を実行しないといけない。正直なところ自分が所有している作品にどんなものがあるのか覚えていない。もう千冊以上の作品を所有していて、記憶にないものがほとんどだ。