カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.82 - 迷子

2022/08/05 最近フリーライティングで迷子になっている。何を書いていいか分からない。何を、というのはテーマが思いつかないのではなくて、テーマに対して何を書くかということ。先日書いた「ミカン」くらいだと困らないのだけど、「老人」あたりでは僕の主張色が非常に強い。フリーライティングと言うより何かを主張しているブログ記事のようだ。それでいいのかどうか迷いのような思いがある。フリーライティングはフリーなライティングなんだから自由にすればいいと思うけど、自分の主張に捕らわれて自由になれていないようにも感じる。いや、そもそもフリーライティングの目的というのは自分の中から言葉をスムーズに出す練習なんだから主張でも何でもいいんだとも思う。確かに書ける内容があるならどんどん書けばいいのだろうと、思いはするのだけど。迷っていても仕方ないのだから毎日コツコツと書いていくのがいいのだろう。いちいち細かいことにこだわらないで、ただただ書くのだ。しばしば練習というのは目的を意識してやるのがいいと言われる。そうだと思う。バットを振るにしたって素早く振るだとか、毎回決まったところを正確に狙うだとか、何かしら目指すところを持って望むのが上達のコツだろう。そこから考えるとこのフリーライティングは何を目的にしているのかというと、上述したように自分の中から言葉をスムーズに出すことだ。そのように「書ける人になる!」の著者ナタリー・ゴールドバーグが書いていたはずだ。だからできるだけふたをせずにするする書いていくのがいいのだろう。ふたをするというのがどういうことなのか分かっていないし、するする書くというのがどういうことなのか分かっていないから、意識するも何もないのだけど。ただ書くしかないんだよな。困ったことに。しかしするする出すという意味では比較的よく言葉が出てきている気がする。この文章だって割と途切れずに書けているのだから。とは言え何か物事が出てきている訳じゃない気がする。物事というのは心の中にでも事実として存在していることだ。それよりこの文章はおしゃべりに近い。思うだの思わないだの感想を書いてばかで何を書いているのやら。いや、今自分が書いていることが分からなくなってきた。分からなくなってきたんだが、今の今書いている文章がそのまま事実でない。具体的に言うと「それよりこの文章はおしゃべりに近い。思うだの思わないだの感想を書いてばかで何を書いているのやら。いや、今自分が書いていることが分からなくなってきた。分からなくなってきたんだが、今の今書いている文章がそのまま事実でない。具体的に言うと」といったことだ。情報を何も含んでいない。思い浮かんだおしゃべりの言葉がずるずる出てきているだけだ。これでは内にあるものを出していることにならない。もっと例えば僕が大阪の新幹線の止まる駅で迷子になった話などを書くべきなのだ。そう考えると出てきた言葉をそのまま書くのではなくて、ちょっとはまとめたほうがいいような気もする。気もするけどこうやって思うまま書くのは気持ちいいからやめないことにする。