カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.49 - 絶食

今日は通院で血液検査がある。絶食だ。朝食を食べない。朝起きて朝食までの時間は空腹との戦いだ。そわそわして、イライラして、げっそりして、朝食までは苦しい。これが絶食となると我慢できる部分がある。どうせ食べられないと決まっているのだ。空腹の飢えに身を任そうという気になる。むしろ清廉、清貧な気持ちになる。浄化される気がする。だけど口数は減る。やっぱり空腹は苦しいのだ。耐えているということは苦しいということだ。苦しさに耐えているとタバコが増える。仙人が霞を食べるように、僕はタバコの煙を食べる。なんの足しにもならない。だけどなんとなく体が求める。空腹とは苦しいものだ。こんなに苦しく設定するほど空腹とは人間にとって由々しき事態なのだろう。こんなに苦しくされたのでは、むしろ職にありつくのが困難になりそうなものだ。だけどきっと空腹に苦しむ者はグールやゾンビのように食にありつこうと徘徊するのだろう。そうしている間の苦しさやみっともなさは、生物としての食を求める本能にとってどうでもいいのだ。食を得るための最良の方法がこの苦しさなんだろう。貪欲になる。なんでも食べる。いっそ人が食べている物を奪いもする。無理矢理にでも食べるのだ。しかし実を言うと絶食の必要はない。採決する際看護師さんに、最後はいつ食べたのか尋ねられる。そこで今朝の食べた時間を言えばいいだけなんだ。だけど、我が家には、というより母には血液検査には絶食だという強い思い込みがあるようだ。通院の際に車に乗せてくれる母はぜっしょくじゃないなんてありえない、という具合だからそれに付き合っているのだ。食べても一向にかまわない。ただ、血糖値や中性脂肪の正確な値が知りたければ絶食がいい。僕は中性脂肪が多いから、変に増えられても困るのだ。げんなりしてしまうが、これもまた仕方ないことの一つなんだろう。