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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.41 - 拗ね

拗ねたくなる。スネ夫か。いや、スネ夫はそんなに拗ねてないだろう。そうだ、スネ夫ジャイアンに媚びへつらったり親に甘やかされたり自慢したりするが、拗ねたりしない。いやいや、そもそもスネ夫の「スネ」は「拗ね」なのか。拗ねたくなるのは甘えだ。拗ねてかまってほしいのだ。僕は拗ねる。拗ねたくなる。甘えているのだ。甘える先は親だ。というか父だろう。一番甘えたいはずの祖母はもういない。父に甘えたいのでないにしても、何かと拗ねたくなるので甘えがあるのだ。僕は年上の人物からかまってもらうのが好きだ。年上の人物も僕をかまうのが好きだ。ここに甘えの構図が成立する。僕は社会に出れば甘える先がいろいろあるのだ。ここ十年は社会に出ていないし、年齢的にも年上は減っただろう。現実的には甘える先が経ていても僕の精神は変わっていない。今日も父に当てこすりを言われて拗ねたくなった。というか拗ねてフリーライティングをお休みしようかと思った。父にあんなことを言われたのだからやってられない。一人で甘えるのも虚しいものかもしれないが、僕の深いところが湿っぽくいじけているのだ。いじけも拗ねと根を同じくする仲間だ。一生治るまい。僕は拗ねたりいじけたりするじいさんになっていくんだ。拗ねているとき当の本人は気づいていない。もっと大きな危機に直面していると思ってる。自分の人格を危うくされているような被害妄想で大問題だと感じている。だから大騒ぎするのだ。大騒ぎして周囲を困惑させる。実のところ拗ねているだけだ。精神の深いところの情動は表層の意識に虚影を映す。拗ね、甘え、脳の原始的な部分に宿る、生物が生き残るために手に入れた精神的ツール。情動は強力だ。35億年を生き抜いた最強のアイテムの一つだからだ。情動と向き合うのは難しい。僕が僕の理性だと思っている表層意識が太刀打ちできる相手ではないのだ。どう付き合ったものかな。