政治について考える際、僕は自分自身の利益より国全体の利益を考える。必要と場合によっては僕が切り捨てられても仕方ないと思っている。そんな上で、じゃぁどうすれば日本という国が幸福になるのかと考えたとき、それは全く分からないとなる。分かるはずはない。適切と考えられる政策を実行したからといって必ずしも幸福が訪れるわけではない。失敗したんじゃないにしても、塞翁が馬である。何が起こるか分からない。それでも適切なものを求める姿勢は重要だと思うが、でも本当に、国というシステムは複雑すぎて何も分かりはしない。先ほど持ち出した「塞翁が馬」と言うなら、いい方向に進んだがゆえに訪れる不幸もあるだろう。それに話は変わるが、国民みんなが幸せを等分できるわけじゃない。中には不幸になる人もいるだろう。それはその人の人生観にも関わってきて、それは例えば幼少からの教育が関わってくる。そんなことまでコントロールするのは難しい。いや、そんなことが言いたいんじゃない。つまり意見の衝突だ。誰かにとっての幸福は他の誰かの不幸かもしれない。であるなら適切な政策なんて選べないんじゃないのか。だから民主主義に則って政治が行われる。みんなでいろいろ話し合いだ。興味を持つ人もいれば持たない人もいる。賢明な人もいれば愚かな人もいる。それぞれがそれぞれのことを言う。その上で導かれたものが、この国が取り得る中で一番マシな方法なんだろう。それでいいじゃないか。いいと思う。僕はその選択を尊重する。政治は庶民に任せる。何様のつもりだ→僕。