カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.6 - 訓練

訓練が嫌いだ。主に勉強なんだけど運動するのも嫌いだ。勉強はしたくない。というかできない。全然気乗りがしなくて集中できない。勉強して賢くなった自分には憧れるけど、勉強自体が嫌いだからできない。僕は気乗りのしないことはできない。わがままを言っているように聞こえるが、そうじゃない。すごく嫌なのだ。やる意味が見出だせないことなんてやっても仕方ない。だって僕にとっては意味のないことなんだから。いや、意味があるのは分かっているけど、それは理屈で分かっているだけで、感覚的には全く受け入れられない。人間は理性より感情のほうが強いから、感情で否定されていることはできない。それを理性で無理やりやらせるのは苦痛だ。苦痛に感じることなんてできない。苦痛は嫌だ。苦痛に感じることなんて身につかない。勉強はできない。これは高校、大学で証明されていて、僕は勉強ができなかった。手につかないのだ。勉強という行為自体には挑戦するのだけど、それが身につかない。何をやっているのか分からなくなって、ぼうっとしてくる。僕は留年も含めて八年間勉強に向かおうと努力をしたけどダメだった。そして勉強以外のこと、サークルの代表者であるとか、アルバイトであるとか、社会人になってからの仕事であるとか、直接的にやり甲斐が感じられることには注力できた。普通以上に注力できていた。僕にはできることとできないことがあるのだ。誰にだってあるだろう。そのうち勉強というか訓練が僕にはできないことなんだ。できればいいと心から思う。だけどできないものはできない。