カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.2 - 表現したいことなんてない

作文、物書きのする作文を勧める外国人女性作家はみんな、みんなが書くことを持っていると思っている。心の底から湧き出てくる思い、伝えたい思いがあると思っている。信じて疑わない。しかし僕なんかからするとそれは間違いだ。そんなものはありはしない。書きたいことなんてないんだ。別に何かを表現したい訳じゃない。表現したいことなんてない。自分の内にあって誰かに見せないでは気が済まないような思いは存在しない。僕は例えば夢追い人なのであって、その夢を表現する人ではない。だけどきっと言われるんだ、自分の内なる声に気づいてないだけなんだと。そんな事言われたら返す言葉はない。気づいてなくないことを証明なんてできないからだ。もう五年になる。小説を書き始めて五年だ。五年経っても自分が書きたい何かなんて見つからない。僕はただ書きたいから書いているだけなんだ。書くためのネタを探すくらいであって、そのネタは僕の中から湧いてきたりしない。そりゃぁ何かの作品に感化されて同じようなものを書きたくなることはあるけれど、それは僕の中から湧いてきた「書きたい何か」ではない。書くためにはネタが必要だ。ネタを見つけたり作ったりしないといけない。湧いてきたりなんかしない。僕はそういうものを持っている人が羨ましくて仕方がない。僕だって欲しい。上述の著者は持っているのが当たり前のように言うから憎い。持ってないんだよ! そんなものがあれば書くことを探すのに苦労はない。いや、そういうのがあると逆に苦労するんだろうか。表現したいものが表現できない、と。そう考えれば僕は楽だ。表現したいものがないんだから、それが自分の力量の足りなさで表現できないなんてことにはならないのだから。だからといって楽ならいいというものじゃない。湧き出るものとか表現したいこととかって輝いて見えるじゃないか。羨ましいんだよ。それのお陰で苦労するものなら僕だって苦労したいんだ。