カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

評価を得んがための執筆よりも

Twitter の TL を眺めていると自身の小説作品を毎日更新するためにノルマを課している人を見かけます。毎日更新することでより多くの PV や評価が欲しいのだと思います。そのために苦しい思いをして小説制作をしているようです。僕にはいびつに感じられてしまいます。

僕は制作過程そのものを楽しんでいます。小説サイトに投稿をまだしていませんので PV や評価は得られませんが問題ありません。 PV だの評価だの欲しいのは欲しいのですが、今のところなくても平気です。僕がそうであるから、前述のようなケースをいびつに感じるのです。

人はいろいろな欲求を持っていて、いろいろな方法でそれを満たそうとします。僕はたまたま小説制作が直接の欲求になっていますが、別の人にとって評価が欲求の対象になっていても不思議ではありません。満足を得る構造が異なるだけです。

しかし、評価が欲求の対象、つまり承認欲求を満たすための活動とは好ましいものなのでしょうか。才能があれば問題ないかもしれません。しかし誰しもが持っているわけではないのです。大勢の人にとっては、自己肯定感によって承認欲求を満たすのが最適解なのではないでしょうか。

つまり、制作過程そのものを楽しめない人はこうするといいのではないでしょうか。小説制作は人生の一時しのぎの趣味とし、自己肯定感を高めるよう努め、そうした中で本当に楽しめる趣味を見つけるのです。そうであれば、よりよい時間を過ごせるのではないでしょうか。