カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - いいとも悪いとも言えない日だった

午前の 0 時頃に目覚めた。「午前 12 時」と書くべきだろうけど、ややこしいので。お漏らしをしていた。多分していた。尻汗が酷いのでそっちかとも思ったが、感じからしてお漏らしだ。先日もやった。 45 のおっさんである。しかしまぁ睡眠薬で強制的に眠っている部分があるので仕方ない。と思うしかない。今は無用な石油ファンヒーターをつけて干している。ノーパンだ。

それはそれとして記事のタイトルをもうちょっと色気のあるものに変えたい。今ははてなブログとは別に書いている同内容の日記のタイトルと同じだ。日々の体調の様子を一覧できるものが欲しくて体調を総括したようなタイトルになっている。しかしタイトルをどう決めたらいいか分からない。今日などは「またお漏らしをした」などとすれば興味を持ってもらえそうだ。とは言えそんな目を引くことが毎日起こるわけじゃない。それにそのタイトルが記事全体を総括したものではないから、読者からしたら「思ってたのと違う」となりそうなものだ。日記のタイトル一つ取っても難しいものだね。

それにしても、最近は日記の文章が長くなりがちだ。読物として価値を高めたい気持ちが働いている。元々は体調について分かりやすく書いて読み直すことを目的としていたのだが、その必要性が減っているのもある。ここしばらく下のような表を付けている。天候と体調の相関を調べるためのものだが、毎日の体調の様子が端的に示されていて分かりやすい。いちいち日記を読み返すよりよほどいい。まぁ何が体調に作用したかについて調べたいときは日記を読むことになるのだが、現実問題として読み返すのかと考えると、そうでもない気がする。

寝たいと言いつつここまで書いている。寝たいというのは間違いだ。寝たほうがいいと理性は判断しているが、感情としては全く寝る気がない。眠くないし。ということで近所のファミマでおむすびを 3 個買ってきて食べた。空腹の、と言うより炭水化物欠乏症の苦しみを避けるには必要なことだし、または食べれば眠れるので眠るのに十分な条件でもある。そんなわけで食べてしばらくして寝た。

朝は 5 時半に目覚ましで起きた。この日記のおにぎりの部分からを書いてから、朝食して、濃いコーヒーを飲んで、タバコを吸って、比較的ではあるがすっきりしている。

ブログ記事を書いた。書きつつ思った。僕は小説が書きたいのではなく文章を書くのが好きなんじゃないかと。書くのは何でもいいのかもしれない。物語を綴るというのはそれはそれで楽しいことなんだけど、ただ、プリミティブに求めているものは文章を書くこと自体なんじゃないかと。これは一つ記憶にとどめておくべき発見のような気がする。

やる気が出なくて小説制作ができない。仕方ないので片付けをすることにした。まずはデータ保存方法の見直しをしたことで使わなくなったファイルサーバ(ノート PC )や NAS 、外付け HDD を撤去した。その後、机周りを片付けてつつ配置転換した。

昼食はカップ焼きそば。辛くして食べた。

13 時すぎまで片付けの続きをした。片付き終わる前に新規購入したヘッドセットを PC に接続した。 Discord でサーバを立てたのでちったぁボイチャに参加しないとと思い、マイクを使いやすいものにしたのだ。これが音を拾ってくれない。 PC を再起動したらいいかもしれないけど、今はデータ保存方法の見直しをしたことにまつわるデータコピー中でできない。ヘッドセットのセットアップは明日になるかもしれない。

15 時半すぎ、疲れすぎて未だ回復しない。クエン酸を飲んだ。仙道さんが試合中にレモンを提供されていたくらいだ、 30 分やそこらのうちに効くはずだ。濃すぎたようで胃が気持ちわるい。気分がわるくなるほどチェイサーを飲んだのに。クエン酸の粉が多すぎたか。

ところで、宮沢賢治雨ニモマケズ」で語られる生き様は賞賛されてしかるべきだろう。そう思っていた。彼は 1 日に 4 合の玄米を食う。そこで一人暮らしをしていた頃の僕は 1 日 3 合なら質素な生活だと思って食っていたんだけど太ってしまった。まぁ彼は看病したりワラ束を負ったり忙しいから、よく食べる必要があったのだろう。引きこもっていた僕とは大違いだったのだ。

そして疲れ切ったまま夕方を迎えた。

今日は超早朝に目覚めていて、再入眠できたとは言えいいスタートではなかった。小説制作がほとんどできず思いどおりの過ごし方はできなかった。ただ、そのおかげで片付けやらすることができたので、結果的にはそう悪い日ではなかった。でも精神状態のことを考えれば可が与えられるか微妙なところだ。