カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

親の愛は都合で引っ込む

母は言います。みっともないから人前に出ないでくれ、と。高校までは自慢の息子だったのに、徒。僕は高校までは町の神童でした。スポーツはからっきしでしたが、勉強はよくできたし、誰にでも微笑んで挨拶するものだから評判がよかった。今ではどうでしょう。 40 過ぎで無職で、嫁もなく、キチガイ(それがうつ病への認識です)で、デブ。とてもじゃないが、みっともなくて、恥ずかしくて、人前には出せません。

親の愛は? 引っ込みました。母にとって不都合だから引っ込みました。母は僕を愛しています。それは伝わります。でも都合に合わせて引っ込むのです。それってどういうことでしょう。全部が母の都合なんじゃないでしょうか。母は人並みに息子を愛しているでしょう。でもそれは母の都合なのです。都合よく愛しているのです。そうでしょう? 都合が悪いと引っ込むんだから。

親の愛を、無償の愛だとか、深い愛だとか、そんなことを言ってありがたがる風潮がありますが、そんなものは全て嘘です。無償ではない。自分の都合に合う場合にのみ出てくる愛です。そんな愛が深いでしょうか? そんなはずはありません。親の愛は都合によるし、表面的なものなのです。賛美するほどのものじゃない。親という立場の人間が勝手に言っているだけです。

そもそも何事もそうなのです。絶対の存在なんてありません。究極的にはそれまでの趣旨を裏切るのです。どんなに打ち込んでいる趣味でも状況が変われば手を付けなくなってしまいます。同じことです。どんなに親子間に愛があっても、人生を投げ打って尽くすようなことはないでしょう。例えそのように見えても、その方が都合がいいからというだけです。

まぁ精々、愛もクソもない赤の他人と比べれば愛がある、という程度なのです。