カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - まあまあだった

23時半に起きた。元々は22時くらいに起きていて、席に着いて寝ていた。体が冷えていた。

プログラミングをした。朝の時間は全てプログラミングに費やした。一進一退みたいな感じだ。上手くいっては、また上手くいかず。これまで多少なりともまともそうに動いていたのが不思議なくらいだ。いや、ホントに不思議。

午前中

朝食の前に父が土嚢の口の結び方というのを教えてくれた。簡単なので覚えた感じはあるけど練習しないと忘れそうだ。もやい結びはマスターしたんだけど。ああいう結び方を知っていると時折役立つ。僕自身にあまり興味がないところが残念だな。それにしても父の機嫌がよかったのはどういうことなのか。よく眠れたとかあるんだろうか。毎日いつもあんなんだといいんだけど。

プログラミングの続きをしていた。熱中している。でももう疲れた。謎が解けなくてひとまず終了だ。例の配列にpush()やconcat()すると異常な配列になる現象だ。乗り越えたと思ったのにやっぱりダメだった。途中で考えられなくなってきてドデカミンを買ってきて飲んだ。本当は甘いお菓子が食べたかったけど脳に糖分を送るのならドデカミンで事足りる。安上がりでいい。

他のこともしないといけない。いけなきゃないのだろうけど、やっぱいろいろやったほうがいい気がする。午後には小説制作できるといいのだけど。今は10時半だ。午前中はもう疲れているし時間がないし、終了って感じだろう。

NHKオンデマンドで「ワイルドライフ」や「体感グレートネイチャー」や「サイエンスZERO」が見たい。見たいけど映像は苦手なので腰が引けている。というか月額(っぽい注意書きがある)990円出すのに腰が引けている。ちょっと嫌だなぁ。そうだPrime Videoのdアニメのオプションを外そう。月額550円だ。ちょっと費用が捻出できるぞ。もう一声だ。ウィキペディアへの毎月335円の寄付を中止にして、さらにノベルスキー(SNS)への支援も中止にしよう。完璧に捻出できた! 社会貢献は小説でやる! 出世払いだ! ということでNHKオンデマンドの「まるごと見放題パック990円」を申し込んだ。やったね!

午後

昼食の前にまた父が紐の結び方を教えてくれた。どうにも機嫌がいい。いいことだ。天気がからっと晴れているせいだろうか。僕もこんなときは精神的な調子がいいのだけど。しかしまぁ塞翁が馬と言うし、また不機嫌な期間が訪れて長く続くのだろう。心の準備をしておかないとなぁ。年を取ってくるといろいろと経験して心の準備ができているからいろんなことに慌てなくなるんだっけな。経験したくないことも一つの経験出汁なぁ。

Xで「自分は有名人の言ったことだからといって気にしない」とポストしている人がいた。どうしてわざわざポストしたんだろう? それはもう本人のコンプレックスだからだ。本当は気になって仕方ない。だけど気になる自分が許せない。許せないから気にしない素振りをする。そしてそのことをわざわざ口にするのだ。本当に気にしていないのなら、意識に上ることはない。意識に上らないなら発言することもない。人がわざわざ言葉を発するのは、そこにコンプレックスがあるからだ。大なり小なり、良かれ悪しかれ、方向性がどうであっても、「コンプレックス=こだわり」があるのだ。実に分かりやすいコンプレックスの発露を見た。ちなみに僕はコンプレックスに関心がある。つまりこだわり=コンプレックスだ。だからわざわざこんな長文にしているんだ。はぁどっとはらい。

僕らは意味のあること、価値のあることをしようとする。できているかどうかは置いておいて、意味・価値のある行動を高く評価する。意味・価値のあることがしたいと思う。先日から同じような話をしている気がするけど、なんだか最近はそんなことを思う。さもしい、びんぼくさい、しみったれている、心が貧しい、そんな感覚。まるで無意味で、ただやりたいからやる、という何かがしたい。そういう馬鹿げたことをしたいといってするのは、やはり意味が生まれていてイマイチだけど、でもしないよりマシなのかもしれない。まぁ思い起こすとワケの分からない独り言のような歌を口ずさんでいたりするから、気にしなくてもできているのかもしれない。でもなんか、もっと欲しい。今日だって学びを得たい思いからNHKオンデマンドの契約をしたのだ。欲望だ。なんだか汚い欲望のように感じる。もっと純粋な、人に見られたら恥ずかしくて昇天しそうな、何かそんなことがしたい。昨今はオナニーするにも損得を考えてしまうものなぁ。しかし、年かなぁ。

先日Xで次のようなポストをした。

憧れと本当にやりたいことは別だ。

小説を発表する自分の姿に憧れていても小説を書くことは難しい。

小説を書くこと自体が本当にやりたいことなら呼吸をするように書けるだろう(注:病人は別)。

憧れを追いかけるのはいいかもしれないけど、自分の本当の姿に気づくのもいいことだ。

前述に通じるものがあるように感じる。例えば金銭を求めること。裕福な暮らしに憧れて金銭を求めるというのは社会的には正しいけれど心の働きのような視点で見ると間違っているのかもしれない。直接的でないのは満足感につながらない。実際には脳内でブラックボック化されていて、金銭自体に、直接的に関心を寄せて稼ぐ部分があるはずだ。その点では間違っていないのだけど。でもやっぱり欲求に直接的であるのがいいと思う。憧れを追うのが間違いだとは言わないけど、叶わないこともある。Xのポストで言えば小説のコンテストで受賞するのが憧れだ。小説を書くこと自体が面白いわけでもないのに賞が欲しくて頑張るのはなんだかいびつに感じる。もちろん物事は白黒はっきりしていないから、書くこと自体が面白くないと言っても多少は面白く感じるかもしれないし、書き上がれば満足感を得られる。趣味として成り立つことも多いだろう。でもやっぱり、もっと欲求にダイレクトに届くほうがいい。

それで午後はおおよそ小説制作をしていた。op58の本文執筆だ。順調に書けている。今日は2000文字以上書いた。すごい。元気はそんなになかったけど、思う存分書けてよかった。夕方には目が疲れたのか画面が二つに分かれる様がすごかった。先日友人からアドバイスをもらったので、その上であまり書くのも何かとは思うけど、いや、あんまりひどいものだから笑ってしまった。「わろてもた」って感じ。老眼鏡の世話になるんだろうか。一度病院に行かないとなぁ。とりあえずキャベジンを飲むのをやめたら治まるかもと思ってそっちやってみる。

総括

今日はまあまあだった。プログラミングも小説制作もたっぷりできて満足している。もうちょっと元気が欲しいけどね。