カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - イマイチだった

1時半に起きた。一度22時に起きて活動開始したけどすぐに寝てしまった。カウントするのもどうかと思うのでやめておいた。

プログラミングしていた。mdparse.jsだ。文書内の脚注をいい具合に表示するための部分をやっていた。たぶん理解できる人はささっと理解して書けると思うんだけど、僕はどうにも論理的なことが苦手だ。早わかりがしない。6時も近くなってくると疲れやエネルギー不足でなんのことかさっぱりわからない。どれほど考えても理解できない。不思議な感覚だ。暖簾に腕押しみたいに思考がスカスカ抜けていく。文字は読めているのに意味が理解できない。休憩するのがいいのだろうけど、なかなかそういう気になれずに考え続けて朝食が始まる時間になった。

午前中

プログラミングの続きをやっていた。8時に部分的な完成を見た。脚注の部分ができたのだ。惜しむらくはGitHubが表示するものより劣っている点だ。同じことができるまで頑張ってもいいけど、なんだか面倒臭そうでやる気にならない。もうえぇがなって感じ。次は本文の表示がおかしくなっている部分の修正だ。これはまた明日にしよう。今日のプログラミングは終了にした。

疲れているので休憩していた。主にノベルスキー(SNS)をしていた。そうしているうちにやる気がなくなった。タイミングを見計らって母に無心しにいき、嫌な顔をされて落ち込んだ。よけいにやる気がなくなって暗い気分になる。それからKindleラノベを漁ったりカクヨムで作品を読んだりした。なんやかんやで11時前になった。今日は天気が悪いせいか調子も低い。どうにも面白くないな。

平等の世には安くて実用的なものが大量生産される。貧富の差が激しいと高価で贅を尽くしたものが少量生産される。文化的にも同じ傾向だ。王侯貴族の繁栄した時代には洗練された文化が花開いた。社会主義の国では名作が生まれてきた。ネット小説が生み出す小説的な平等社会はどうだろう。程度の低い作品がほとんどを占めて書籍化されるものですら低俗に堕している。精緻に織りなされる文化が幸福を生むとは限らない。それでも何かを感じてしまう。

午後

しばらくSNSしてからプログラミングを再開した。どうも調子が悪くて小説制作したりする気分じゃない。プログラミングならどうにかなりそうなのでやり始めた。午前中に書いていた部分を全部消してやり直していた。やっぱり機能不足が気に入らなかったからだ。実際に操作してみて「これじゃ片手落ちだ!」というのを実感した。だけど夕方になって破綻してしまい、またやり直しになった。もう続きは明日だ。

最適解を求めることがさもしいように感じられた。人生に余裕がないようなイメージだ。最短で到着するとか、最安値で買うとか、最新の道具を使うとか、そういうのはコンプレックスによるもののように思う。最高・最適でないといけないというのはどうなんだろうな。これは本質的でないかもしれないけど、いつでも最高に美味しいものが食べられる立場なら、そんなに美味しいものにこだわることはない。ちょっとやそっと劣るものでも余裕をもって食べられる。最高級の宝飾品をいくらでも買えるなら、プラスチックの指輪だっていいじゃないか。飾り立てる必要もない。人生の深い部分で余裕を持っているなら、何に対しても鷹揚でいられるように思う。執着を手放せたらずっと楽に生きられそうだ。そんな生き方に執着していては余裕のある人生にはならないのだろうけど。

総括

今日はイマイチだった。早朝はよかったけど、他は低調だ。こんな日もあるのだろうけど、楽にすごしたいものだね。