カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr041 限界が見えてきた!

僕は小説家にはなれない、と諦めがついたのではない。見えてきたというのは「進める方向の限界」だ。目標に達せるのかは分からない。ただ、進むことのできる道がどんなものなのかが分かってきた。ではどちらへなら向かえるのか。それは――気の向いたほうだ。

伊達や冗談で言っているのではないし、気ままに生きる自由人を夢想しているのでもない。僕という人間の性質を46年の現実から察するに、気の向いた方にしか進めないらしいのだ。逆に言うと、気の向かないことは続かない。勉強がそうだった。誰でも嫌だろうと言われるかもしれないが、ちょっと変な状況になっていた。高校生のとき、微分の概念について直感的理解を得るために2年間だか3年間だか思案し続けることはできたが(気が向いたのだ)、演習問題を解くことは授業で当てられるのが分かったとき以外なかった(気が向かなかったのだ)。

仕事には打ち込んだ。アルバイトにも打ち込んだ。大学のときホテルの夜のフロント係をしていたんだけど、就職が決まってバイトを辞めるときには職員の人たちから1万円ほどのネクタイを贈られるくらい信頼を得ていた。そして就職が決まった先では会社側から働き過ぎを嫌がられながら鬱病になるまで自ら進んで働いた。自己裁量権をもらって好きなだけ仕事を増やして好きなだけ仕事をした。言わば仕事は趣味だった。

いろんなことに興味を持って取り組んだりしたけど、気が向かなくなると馬鹿らしくなってしまう。気が向かないとは、つまり僕にとって無価値だということ。無価値だと感じていて続けられる人のほうが珍しいのではないだろうか。穴を掘っては埋め直す作業を続けられる人は少ないはずだ。

僕は極端なんだと思う。気が向けば病気になるまでやるけど、気が向かなければ必要なことさえできない。それは、ある意味では諦めであるし、ある意味では希望だ。そしてまたある意味では見切りを付けることであり、また忍耐のしどころでもある。気の向くことは伸ばすようにするし、気の向かないことは可能な範囲で成せるのを待つ。自分の扱い方についてはまだ未知な部分があるけど、まぁ上手い具合にやっていこうと思っている。