カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.64 - 同類嫌悪とウンコ

2022/07/15 同類嫌悪というと自分の嫌なところと同じものが相手にあって、それが見えるから嫌悪するのだと言う。鏡に映った醜い自分、という訳だ。話は分かるがそういう体験を日頃からしていないとピンとこない。注意深く感情を探っていると、自分が感情的になっている誰かの言動というのがそれに当たるなど、案外身近にあるものだと思う。でもまぁ言うてもそんないつもいつも感情的になる訳でもないし、感情的になっているなら特に自分を観察するのは難しい。こういうとき僕は自分を虐める気分で、聞き知った精神的作用を当てはめて「お前は今こうなんじゃないのか」と突き付けるのだけど、まぁ言うてもそんないつもいつもじゃない。つまりとにかくピンとこない。しかしここでウンコを考えよう。ウンコは不思議なものだ。イヌやネコのウンコはさして嫌でもない。いっそつかめる。だけど人間のウンコは違う。自分のウンコですら忌避する。他人のウンコなんて見るのもおぞましい。これはもう同類嫌悪、というか同族嫌悪なんでしょう。自分のウンコだって嫌なものだけど、それが鏡に映った他人のウンコなんて嫌だ。ウンコは同族嫌悪なんだ。もうちょっと考えると面白いのだけど、イヌやネコのウンコはよくても、サルのウンコはどうだろう? ゴリラやオランウータンのウンコはどうだろう? ちょっと嫌な感じがしないだろうか。イヌやネコと比べて嫌さが強い。やはり僕はサルをいくらか同族視しているのだ。ちょっと賢いことをしたから、すごいすごいと言って褒めて使わすあいつら。見下しているあいつら。だけど同族的な見方をしている。これは大発見じゃないだろうか、ウンコの嫌さの強度で自分が相手をどれだけ同族視しているか分かるのかもしれない。つまり、ウンコじゃないにしても、自分の嫌なところを誰か相手に当てはめてみて、相手がその嫌な部分を見せたとしたらどれだけ汚らわしいかを観察する。これは面白い。例えば子供相手ならそれほど嫌じゃないかもしれない。見下しているからだ。自分の下だと思っている。対等だとは感じていない。子供だから許してやれる。いい大人がやったら嫌さは増すだろう。同じ大人でも例えば女性を見下しているかもしれないし、老人を見下しているかもしれない。案外若者に対しては強い嫌悪感を覚えるかもしれない。ちょっと年下くらいは生意気に映る。これはまた別案件かもしれないな。まぁいいや。とにかく自分のウンコな部分を他人に当てはめてどれだけ嫌悪するのかで、どれだけ同族視しているかが分かるはずだ。