カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.32 - 小説

小説を読むのは好きなはずなんだけど、多くの場合は退屈してしまって読めない。何が理由なのかはよく分からない。僕が登場人物の気持ちや心情に関心がないのが理由かもしれないとは思っている。僕は漢文の授業が好きだった。取り上げられる題材の物語が端的に書かれていて好ましかったからだ。おおむね出来事だけが簡潔に書かれている。複雑な心情やなんかはなかった。察することはできただろうけど。そういう作品が好きなんだろうと思う。それに多くの小説は冗長だ。大きな山谷なしに出来事や心情が綴られていることが多い。言わば、なんでもない時間が退屈で読んでいられないのだ。なんともこらえ性のない話だし、情緒的じゃないというのか。僕はまた詩が理解できないのだけど、そういうところにヒントがあるかもしれない。書かれている事実をそのまま事実として受け止めるけども、そこから情動が生まれないことが多い。発想が貧弱なんだろうか。何かこう、想起されるものがないというか。でも詩が理解できないというのはストーリーで見せられていないから、というのが大きいか。ストーリーで見せられないと情動が発生しない。何かの瞬間を切りとってみせられても、その事実を受け止めるだけだ。とは言え詩が分からない人でも小説は読むって場合は多そうだな。関係ないのかもしれない。読めないというのはラノベにも適用される。これも退屈なものがほとんどだ。何がどう退屈なのかはっきり認識してはいない。興味をかき立てられることが書いてないのだ。中には明らかにストーリー展開が下手なものも多くあって、こういうのは問題外と言えるかもしれない。なんにしても小説は好きなはずなのに退屈で読めない。好ましい作品はとても好ましいのに。