カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - まあまあだった

また3時前なんかに起きだしてしまった。リスペリドンを寝る前に飲んだけどあまり変わらないな。昨日よく眠れたのはリスペリドンじゃなかったのかな。起きだしてくること自体は、気分がそれなりにいいのが理由だから悪くはないのだけど。一日の調子が優れなくなることが多くて困ってしまう。

それにしてもこんな時間に起きると寂しい気分だ。Twitterをのぞいても、なんとなく閑散としたような雰囲気がある。気分の問題かもしれないけど。LINEオプチャなんかも静まりかえってるしなぁ。

気分を上げるためにフリーライティングをした。気分が上がった感じはしないけど、まぁちょっと整った気もする。フリーライティングの記事は順調に溜まっていっている。予約投稿で2月7日まで溜まっている。一日に何本も書いているからどんどん溜まっていく。それって溜まる一方でちょっとおかしなことになりそうな感じもある。なんか僕が死んだ後にも投稿され続けるみたいな変な感じだ。でも実際のところ、うつ病の具合が悪くなると書かなくなって、溜まっていたものが消費されていくから、まぁ、溜まるくらいがちょうどいいんだ。

LINEオプチャにいつも自慢しにくる人がいる。顔を出すときは自慢するときだ。妬ましい。星が増えたとかブクマが増えたとかいって画像を張り付けて喜びを爆発させている。みんなは僕みたいに心が狭くないから祝ってあげている。僕はスルーだ。自慢は醜い。みっともない。ささやかな喜びを発露させるのならかわいいものだ。書籍化作家のすることじゃない。ただでさえ妬ましいのに。

それにしても妬ましいというのは、それこそ醜い感情だ。人の幸せを素直に喜べない。既に友人だというようなことなら喜びもしよう。好ましい相手が喜んでいるならいいことだ。たとえ深いところに妬みがあったとしても。でも知らない人が無邪気に喜んでいるのを見ると妬みが強く出てくる。なんだろう妬みって。人と比べることでしか幸せを感じられないからだろうか。いや、僕は今幸せではある。毎日というスパンで見れば穏やかに過ごしている。だけど自分よりいい境遇の人が妬ましいんだ。こんな心のまま自分がいい境遇になったとしたら、僕は自慢するだろうか。それが嫌だ。ままならない。汚い感情を捨てたい。まぁ、だからといって悟りを開く修行をしようなんてことにはならないあたり、欲深いだけなのか。どこまでもダメだ。

すっかり落ち込んでいたけどフリーライティングしたら正常に戻った。気分が上がるってことはないけど整った感じがする。無心になって打ち込めるっていうのかもしれない。考えるのが辛いときには向かないかもしれないけど、気分が滅入っているようなときには、いいツールなのかもしれない。

プログラミングしたい気分だけど、小説制作に関わることをしておきたいという気持ちがある。小説制作関連のことが捗っていないからなぁ。小説制作そのものも進んではいるけど牛の歩みだし、読書もなかなか進まない。本当のことをいえばきっと気分に従ってプログラミングすべきとは思うけど。まぁでもネタがないとね。

しかしもう11時すぎだ。11時半には昼食のために台所へ行かないといけない。午後に残るような作業はしたくないな。午後は午後で新鮮な気分で迎えたい。上手くいけば小説制作に手を付けられるだろうし。

昼食は12時には終わったと思う。それから気付けば13時半くらいだった。何をしていたかよく分からない。しかしやる気が出ない。何もしたくない。困ってしまう。そのとき眠ることを思い付いた。1時間ほど眠れば夕方までもう一戦できるかもしれない。読書くらいならいけそうだ。そう思って寝た。それで読書をした。『「感情」から書く脚本術』を読んだ。わりと退屈な本だ。なんとなくストレスが溜まる。情報を欲しているのに、得た情報は有益だと思うのに、本を読むのが退屈だ。ままならない。こうやって日記を書いて気を紛らわせ、それからフリーライティングでもしようか。

フリーライティングしてどうなったか、夕食の終わった今となっては覚えていない。風呂の順番待ちの時間が近づいて、することもなくTwitterしていたような気もする。

今日はまぁまあまあの日だったという印象がある。この日記を読み返してみて、小説制作と読書が少しずつできたに過ぎないようで、まあまあとも言えないのかな、と思い直すなど。でもまぁ悪い気分じゃないし、いいや。