カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - パンツァーの心得

パンツァーはプロット的な思考をしてはいけない

先々に何が起こると面白いかと考えてはならない

今書いている出来事に対して、次に何が起こったら面白いか、という視点が重要だ

プロッターのように全体を通して面白さを出そうとしてはいけない

読んでいる今が一番面白いように書く必要がある

つまり微分だ

ちょっと前の出来事からの流れとしてどうするのが面白いか

財布を拾ったら後になって大事件に巻き込まれて世界を救う展開を考えるのではない

拾った財布から魔王が飛び出す展開を考えるのだ

その先のことは魔王が飛び出してから考える

魔王が飛び出したのでは破綻するんじゃないか、などと考えてはいけない

恐怖を乗り越えて今一番面白い展開を作る

これこそがパンツァーだ

書き出し

書き出しはパンツァーにあっても重要だが、プロッターにとっての書き出しほど決定的な意味を持たない。

プロッターにとっては先々の展開を前にして適切な導入が求められる。これから面白くするための準備段階だ。

パンツァーは違う。先々のことは分からない。どんな書き出しであっても次の瞬間面白くする使命を負っているのがパンツァーだ。

面白さの方向性

パンツァーは常に面白い次を書かねばならないが、面白さの方向性について考えるとより素晴らしいかもしれない。この段になってプロット的な思考が入ってくる。

単にシーンが面白いことは大切だが、その先のシーンを思い浮かべて高揚感を募らせる面白さというのもあるだろう。期待感だ。

フラストレーションを溜めるシーンは代表的だろう。溜まったフラストレーションを爆発させてくれるだろう、と期待が高まる。

またハラハラするシーンはどうだろうか。元々ハラハラ自体が面白さなのだが、その先にある上手くいったときの安心感を求めて期待が高まる。ご褒美が待っているかもしれないし。

つじつま合わせの戦い

因縁の敵キャラクターを退場させたなら、しかしそのキャラクターは必ず戻ってくる。戻ってくる必要がある。再登場するときに、どうやって戻ってきたかは重要だ。グズグズな設定では興ざめになる。

どうやって戻ってくるのか事前に伏線を張っておく必要もあるかもしれない。この場合は多少なりともプロット的な思考が必要になる。このキャラクターが先々どうなって戻ってくるのか、を決めておくことになるからだ。

場合によっては書き終わった部分に戻って伏線を張ることになるかもしれない。この程度の手戻りは仕方がない。許容範囲だ。だが大改稿などまっぴら御免である。そうならないためには執筆中の展開が過去の変容を必要としないものにするといいだろう。

面白くするには手段を選んでいられないが、選べる段階にあるなら過去に影響しないで前方に投射するような展開を選択したい。新たな要素の追加が思い当たる。崖から落ちた因縁の敵キャラクターが助かるはずがない。はずがないけど別の誰かが助けたかもしれない。この「別の誰か」が新たな要素だ。あまりこの手を使うと収拾がつかなくなるので注意したいが。

そう考えると小説制作で言われる「広げた風呂敷をたたむ」という言い回しはパンツァーにとっての話なのかもしれない。プロッターは基本的に終わりを決めてから計画的に途中を作っていくので、広げた風呂敷がたためない、というのは起こりにくいはずだ。

クライマックス

常に面白い展開を書こうとすれば発展的になりがちだ。それでも程々で終わりにしないといけない。終わりの面白さを考えたい。面白くするには終わらせる必要があるのだ!ということだ。クライマックスと言えるだろう。諸々の物事が極まって激烈な反応を起こす。

プロッターは終着点へ向けて全てを凝縮していく。パンツァーはこれまでまいてきた種が芽吹いたものを一つずつ収穫する面白さを提供する。そのためにはアイデアを搾って美味しく食べられるようにしないといけない。慣れたパンツァーはプロット的な思考をして回収され方を事前に想定して書いているかもしれない。

おわりに

よほど極まったプロッターであってもパンツィング的な書き方をする。一文の単位までプロットで決めることはない。シーンの中のやり取りまで決めたら、どんな文章で色づけするのか感覚的な判断をするだろう。

ひるがえってパンツァーであってもプロッティング的な考え方をしてもいい。むしろ取り入れるべきだ。自分に合った割合でハイブリッドにするのがいい。1エピソード分のプロットを考えると上手くいくならそれでいい。視野を広げて美味いところをGETしよう。