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カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - 2024-11-21 まあまあの日だった

4時半に起きた。椅子に座って寝ていた。早朝に目が覚めて汗だくになっていて、着替えたり乾かしたりして、それで席に着いて寝たんだ。寝起きはよくない。

昨夜は寝る前に、僕が管理者をするLINEオプチャで議題が上がってきて話し合いをしていた。ある人を副管理人にすべきというものだった。僕は大反対だった。でもこの話をしているうちは僕が落ち着かず、寝られなくなるし、仕方ないから話を通した。屈辱的だ。若者には大局が見えていない。

なんとなく気持ちが落ち着かない。今日も小説制作をしようと思っていたけど、なんか気分じゃない。プログラミングしたい感じがする。思いどおりの日が過ごせないな。

小説制作コミュニティに向けた投稿

文長を同じくらいにそろえると読んでいて単調に感じられます 注意せずとも文長がバラけることがしばしばですが、そろってしまうこともあります(1文1行の作品だとチェックしやすいですね) 僕は「芋の季節だ」「秋が深い」「だというのに」程度の短文を入れてリズムを崩しています

プロットは有用なのか

小説制作をしていた。簡単に書くやつだ。簡単に書くやつにはプロットがない。プロットがないと行き詰まることがある。でもプロットには何ヵ月もかけているので、プロットがないほうがコスパはいいのだろう。面白さの程度が違うと思うけど。

でもプロットがなくても伏線を張ったり下準備をしたり、そういう計画的なことが上手くできる人もいるのだろう。そう考えると、じゃぁプロットってなんだよ、とか思わないでもない。僕としてもプロットで得た経験を元にプロットなしでも伏線を張ったりしているし。でもやっぱプロットがあった場合の伏線のほうが綿密で複雑なんだよなぁ。

人生迷い道

人生においても「特定の道を通らないとたどり着けない場所」があると思う。小説制作するなかでそういう体験をした。

昔の僕はプロットをテキストエディタや表計算アプリで作ろうとして断念している。書いていて理解できないからだ。自分の書いたことなのに、頭に入ってこない、考えることができない。

そこで一計を案じてホワイトボードにカードを貼ってプロットを作った。これは理解しやすかった。一覧性が高くて分かった感じがする。これだ!と思った。

でもしばらくして、ホワイトボードでは保存できないことなどあり、再びテキストエディタを試した。そうすると以前のような分からない感じがない。フツーに分かる。へぇ。

要するに僕はホワイトボードを使う経験をしたことで、テキストエディタのプロットも理解できるようになったのだ。そんな気がする。今ではホワイトボードは使っていない。

感性豊かになりたい

ハンバーグの話題が出たとき「食べたい」と言う人がいる。僕はそういうことを思わない。過去に食べたハンバーグの絵と薄らした感情を思い出すけど、ほぼノーマルな心情で眺めている。特段に発言するようなことを思わない。

ハンバーグに限らず、僕が特に思うのは小説を読んだときの感想とかなんだけど、そんなにいろんなことを思い浮かべるものなんだな、と。羨ましい。僕の感性はそんなこと感じないから。これは努力して得られる感性ではないだろう。僕は一生鈍い感性のままなんだ。そう思うと悔しい。