カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

6時前に起きた。ちょっとして、すぐに朝食。

午前中

小説制作をしていた。op64の第6話の本文執筆とか他の修正だ。最新のところを書いていると、以前書いた部分を思い出して修正の必要に気づく。それとつじつまの関係で変更が必要になったり。

父が僕の部屋の下にある部屋を掃除していた。伯父が帰省するからだろう。月末くらいの予定だ。父が掃除機をかける音は怖いけど、先日感じたような強い恐怖はなかった。これが普通なのかもしれない。そんな気がする。

ここ数日、目がかすむような気がする。なんとなく見えづらい。半年くらい前から斜視でまともに見えないのだけど、それとは別で。斜視でも片目ずつなら問題なく見える。見えるんだけど、これがかすんでいる。メガネしたいけど今のメガネは合わないみたいで頭痛になる。なんにしても早く眼科に行かないと。面倒だな。

自分の小説の処女作を少し読んでいた。困ったことにつまらなくない。今書いている作品を読んでみると面白くもつまらなくもない。それでいて僕が以前より成長しているなら、じゃぁ過去作はつまらないはずだ。なのに普通に読める。つたないところはあったけど。僕の中の重要な部分は変わらないのかもしれない。そう考えれば問題ないか。

労働自体をイヤだと思っている人がたくさんいるみたいだ。僕は労働が好きなほうだから、分かりにくい感情だ。反発心を抱いてしまう。どうしてイヤなのか、考えてみると2つ思いついた。人の言うことに従うのがプライド的に許せいないということ。それから人や共同体のために活動することに価値が見いだせないということ。→

→前者は僕にはわかりやすい。僕自身がそういう感情を持っていたのではないけど、服従するのが屈辱的だ、というのは分かりやすい。→

→他方で共同体のために活動する価値観がない、というのは、どちらかというと分かりにくい。人の役に立つのは嬉しいものだと思ってきた。僕は精神的にはサービス業に向いているから、そう思うのかもしれない。

午後

プログラミングをしていた。小説制作の補助になるウェブページだ。先日いじった影響で表示されなくなっていたページを修正した。なんか思いのほか時間がかかった気がする。無駄なこともやっていたし。書いたり消したり。

心理学者のアドラーは他人からどう思われようが気にしない精神性が大切だと説いている。大切というか、人生を楽にするのだそうだ。納得できる話であるし、それを取り入れたい思いがある。他方で僕の父に対する感情をどうするかという問題がある。→

→僕は父の働いたお金で養われている。父は75歳を回って後期高齢者だ。だというのにまだ働いている。父はそのことが不満のようだ。その中にあって僕はニートだし肩身が狭い。アドラーとしてはそんなことを気にするなというのだろう。お金のために服従するならそれは奴隷であるし、引け目を感じるのもどうかという気がしないでもない。かといって大きな顔をするのは道徳的な違反のように感じられる。難しいものだね。

総括

今日はそこそこだった。もうちょっとどうにかしたいけど容易ならざることで毎日苦労している。難儀。