朝
4時半に起きた。たくさん寝てしまった。目覚ましアラームを止めてまた寝たらしい。昔からそういうところがあるんだよな。
小説制作をしていた。op63の第3話の本文執筆だ。書いていると第2話の問題点が見えてくる。「ああ、ダメージを回復させる描写が抜けていたな」みたいな辻褄の合わないところに気がついたりする。そう考えるとわざわざ推敲をするよりも、次の話を書きながら気づくほうがリーズナブルな気もする。別途推敲みたいなことはするにしても後でいい。スティーヴン・キングは2ヵ月とか寝かせるんだったか。他人が書いたものに見えたらいいらしい。
DARSの空箱が二つ、なんとなく放置されている。こういうのが片付かない人と言うのかなぁ。
腹が減った。腹が鳴った。腹が鳴るのはなんでなんだろう。鳴ったら死を招く――敵に見つかるとか――ものだったら腹が鳴らない子孫が生き残ってきたはずだ。逆に腹が鳴る子孫が生き残っているということは、腹が鳴ったほうが生存率が高いからだ。バカだから腹が鳴らないと空腹に気づかない、という個体がいたのかもしれないな。なんて益体もないことを考えた。
午前中
小説制作の続きをしていた。9時になった。疲れた。疲れたから休憩ということで、一応小説制作じゃないことをすることにした。日記を書いていたら変わらないのでは、という気がしないでもないけど、そんなことはない。日記は思うままに書いている。小説を書くには何かよくわからないけれど考えている。どんな思考だということを言葉にはできないけど。
父が肉を焼いてくれていた。おやつ用に。なんだか申し訳ない思いがする。それと同時に自分について、なんてダメなやつなんだ、という気もする。46歳のおじさんが親にしてもらうことだろうか。
クレカ支払いに向けて資金移動していた。母に無心した2万円が振り込まれていないのでキャッシングローンすることになった。キャッシングを利用するのはいつものことだけど、なくしていこうと思っていた矢先にこれだから困る。母に催促するのも嫌がられそうだし、困ったなぁ。まぁどうしようもないのだけど。
Notionで全部の文字数を数え上げたいのだけど方法がないっぽい。なんかアプリケーションを作る方法があったけど、あんなのじゃぁできないのかなぁ。
エアコンから暖かくない風が出ている。わりと勢いよく。そんな風なら出さないでくれと言いたい。
よくわからない時間を過ごしている。やりたいことがあるけど、やる気がしないとか。これは複雑な心境だけれどわりと当たり前にあるなぁ、と僕について思っている。以前ブログ記事で「憧れ理論」というのを書いたけど、該当するかもしれない。やりたいことをやっている自分というのが憧れであり、だけど実際にやりたいわけじゃない、みたいな。
チョコレートは包装の箱が邪魔だなという気がする。箱を展開して平たくして捨てるとか面倒というか、面倒というか。なのでmeiji milk chocolateを買った。銀紙と紙で包んであるやつ。チョコレートを割って食べるのが面倒だけど、まぁこのくらいはいいか、と。ご褒美のチョコの話。
午後
昼前くらいからラノベの「異世界迷宮でハーレムを 1」を読んでいた。まあまあ。最初は肩肘張った感じがしていたけど読むうちにこなれてきた。主人公の思考が長々と書かれていることがあり、僕は好まないので度々読み飛ばした。次巻を買うのかは微妙な印象。
階段の上り下りがまともにできないくらい膝が悪かったんだけど、いつからか痛みがありつつも普通っぽくできるように回復してきた。なぜだかはわからない。
小説を読み終わると喪失感がある。ルパン三世の石川五右衛門が「またつまらぬものを切ってしまった」と言っているような印象だ。読んでいてそれなりに楽しい時間を過ごせるのだけど、でも何か時間を無駄に消費してしまった感覚がある。僕が生き急ぎ過ぎなんだろうか。そんな気がする。
年賀状まだ出してない。出してないのが3年目だ。いい加減に愛想尽かされそうだ。来年までに出さないと。
小説制作の続きをしていた。なんか流れで度量衡を考えていた。昔ながらの単位はわりとぐちゃぐちゃだ。手に持つくらいのサイズなら寸・尺とかインチ・フィート、大きくなると里とかマイル。単純に10倍や1000倍にするのではない。換算が面倒だ。お金でも1リブラ=12ソリドゥス=240デナリウスとか換算が難しい。これを再現しようとしている。再現したとして読者がいちいち考える必要はない。「なんか複雑な仕組みだな」と理解してもらえばいい。言ってみれば僕の自己満足なんだけど、雰囲気を味わってもらいたいのだ。
僕の見たことのある神主さんの柏手は大層な音がしない。わりとペチみたいなショボい音だ。でもあの枯れた音を出すのは難しい。やってみるけど上手くいかない。技術なんだろうか。
小説制作でピンチに追いやられた脇役の言動に困っている。主人公ならテーマが決まっているからそれにのっとって勇敢に立ち向かったりすればいい。そうでもない脇役が「物語の流れには大きく影響しないけど何かしないと収まりがつかない」というシーンで何をするのがリアリティがあるのか。脇役がどんな反応をするにしても、主人公は賛成するなり反対するなりして本来やるべきことをやる。言わば脇役は何をやってもいい。そういうのが困る。
暇というのを悪いもののように感じる。暇を楽しめているならいい。だけど暇が潰すものとなったら人生の無駄遣いのような気がする。たぶん、そんなことを思う心境こそがマズいのだと思うけれど。
総括
今日はそこそこだった。起きたときにはまあまあの日が過ごせるような気がしていたのに、午前中で疲れてしまい、回復せず、なんだかんだでイマイチな午後になってしまった。午後がイマイチだったけど午前中はまあまあだったし、全体でそこそこ、ってことで。