カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 平等とかについて思う

健康に暮らす権利がうたわれていても健康が害されないわけではない。風邪を引くし病気にもなる。場合によってはケガをして元に戻らないこともある。元に戻らないのは権利が侵害されたまま復活しないことを意味する。これは科学技術=医療技術の進歩で克服できる。だけど現代科学では、ちょん切れた腕は元に戻らない。

日本はおよそ平等だということになっているけど、それは平等の権利が認められている、というようなものだ。平等が保障されているのではない。もしも権利が侵されたとしたら、享受していた平等性は崩れる。しばしば科学技術によって克服されるけれど、未だ未解決の問題のほうが多いだろう。

誰でも高等教育を受けられるとは言うけど、学力が基準に満たなければ受けられない。当たり前だけど手放しに平等とは言えない。平等の機会が与えられているのであって、平等に学びが得られるわけではないのだ。当然ではある。仕方ない。ただこれも科学技術の発展で克服できそうな気もする。

公共の福祉という便利な言葉がある。例えばたった一人しかいない難病患者を絶対に治そうと何兆円もの予算が組まれることはない。それにそういう難病が発生した時点で「完璧な平等」というのは破れている。

理想的な、完璧な平等は存在しない。言い出せばきりがなく、いっそ人間全員が均質な機会のようにならないと完璧な平等は生まれない。きっとほとんどの人類がそんな状況を望んではいないだろう。

平等たろうと精一杯やっているのが現状だ。それでいて完璧な平等というのは目指さない。僕らはどこへ向かえばいいんだろう?