カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 叱られるのはおかしい

過ちを犯すと叱られる。おかしい。

誰しも何かをするのは正しいと思ってやっている。人は正しいと判断したことしか行えない。犯罪を犯すのでさえ人は正しいと判断したらか行っている。犯罪は社会的に、法的に、倫理的に間違っていると認識していても、人間関係や様々な事情から勘案するに、最終的に自分の行動として正しい、仕方ない、と判断するから実行するのだ。

もしかしたら欲求に負けて過ちを犯すかもしれない。だけどその欲求はなんだ? その人が持とうと思って持った欲求ではない。欲求とは生まれつき持っていた性格や、生まれ育った環境や、その他諸々の事情から発生したものだ。本人の意思によるものではない。欲求をなくすことはできない。なくせるとしたら、それはもう解脱している。

なくすことができない、抗おうにも抗いきれない欲求から犯した過ちについて叱られるのはおかしい。本人にはどうすることもできなかったのだ。なのに苦痛を受けさせられる。そんな理不尽な話はない。叱られるのはおかしい。間違っている。

たとえ僕が200万近い借金を負っていながらさらにリボ払いを選択したとしても、それについて父から叱責されるのは間違っている。僕のコア(魂、精神の中心、OSのカーネルのような概念)が苦痛を受けさせられる正当な理由はどこにもない。