カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

思考日記 - 平等のまがい物

平等を謳う国は多いだろうけどどれもまがい物だ。平等の権利を認められて平等になったような気がしているけど、それはまやかしに過ぎない。10の力を持つ人も100の力を持つ人も、平等に全力を尽くす権利が与えられている。その結果は絶対に不平等だ。

能力や運のない者は社会的に虐げられ、能力や運のある者だけが社会的に成功する。弱肉強食。どこの社会でもそれは変わらない。法律で認められている。弱肉強食が、だ。理性の象徴のような法が、野生の象徴のような弱肉強食を認めているのだ。

それでも僕らがそんな平等を尊ぶのは、自分だけいい思いをしたいからだ。共産主義のような平等になっては自分だけいい思いをすることができない。だから権利の平等性にすがって躍起になる。人間の、反吐が出るような汚い部分が平等を支えているのだ。

だけど権利の平等性は競争を生んで社会の発展を促す側面がある。その現実はやはり僕らの目を曇らせる。なんでも成長すべきだと勘違いしている僕らは、現実の利益を追いかけて、理想の平等を捨ててしまった。結局のところ、いい思いがしたいのだ。

かんだたが蜘蛛の糸を上るのに、群がる亡者を蹴落とす様が幻視される。自分だけ、自分だけ。自分だけいい思いがしたいのだ。人間の醜い一面だ。

その醜さが、人類を生きながらえさせてきた。どんなに醜悪でも生き延びるのに必要なのだ。それならば人生は苦であるという言にも、人間が生まれながらに持った罪というのも、分かるような気がする。