カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - ぼちぼちだった

1時半に起きた。

昨日からやっているプログラミングの続きを始めた。yamlparse.jsという名前だ。GitHubで公開している。おおよそ出来上がっているが、最後のおまけみたいなところで昨日からつまずいている。いろいろやってみて、様子を絵にして想像してみてようやく理解できた。絵にするとわかりやすい。書いていればもっとわかっただろう。ちょっとしたメモを書く習慣をつけたいな。プログラミングしているときはキータイプ一辺倒で紙に書くなんてことをしない。いや、普段からしない。すればいいのに。

午前中

プログラミングは食前に解決して後処理が残っていたのでやった。これで小説の設定ファイルを人に見せられる。疲れた。

昨日の日記を書かないと。

精神は三つくらいの種類に分けられる気がする。気分と、機嫌と、感情だ。他にもあるかもしれないから「三つくらい」としたのだけどわからない。気分というのは例えば2連休の初日の朝に青空を見上げたとき感じるような気分のよさだ。他には誰かが虐められているのを見て見ぬふりをしているときのような気分の悪さ。これに対して機嫌や感情はまた別のように思う。密接に関係しているから「こういう気分のときはこういう機嫌になる」というように同期していて区別がつかないかもしれない。だけど、気分よく怒っているようなことがないだろうか。怒っている自分に酔っているというか、怒りをぶつける快感に浸っているというか。はたまた機嫌はいいのになんとなく不快感というような気分があるときがある。

前述の続きなのだけど、片手の指を絡み合わせた状態で誰かに1本の指先に触れてもらうと、どの指に振られたのか判別が着かない。僕らの精神的な感覚はこの逆になっているのかもしれない。つまり精神的な状態を感知するものが指の絡み合うような状態になっていて、触られたことしか感知できない。指をほどくように精神の何かを具合のいい状態に鍛えると、もしかしたら、気分と機嫌と感情と、はたまた別の何かを感じ分けられるのかもしれない。

似ている話でこんなのがある。不安とか恋とかを抱くと胸が苦しい。もやもやふわふわした重さを感じるのは紛れもなく胸だ。だけど医学や科学では胸に何か感じる器官があるのだとかは言われていない。それとは別に例えば尿意は股間あたりに感じるものだけど、きっと膀胱か何かの神経がそのような知覚をもたらしているのだろう。だけど胸の苦しさと尿意が別の源理によって感じていることを知覚できない。もっと言うと腹痛だって不思議な気がする。なんで腹だとわかるんだろう? 腹の中なんて見たこともない。普段は触れないから触ったときにこういう感覚があるんだな、という学びを得ることもできない。なのにみんな物心ついたときには腹が痛いの痛くないのというのが分かるようになっている。まぁそんなことを言いだすと指先の触覚だって、なんで指とわかるのかが、わからない。なんだか何もわからなくなってきた。じゃぁおしっこに行ってきます。

先日作った「ダクト様のもの」。空気清浄機がタバコの煙をよく吸うように作ったものだ。紙なので燃えやすく火事が怖い。そこで燃焼防止剤のスプレー「モエーナインX」を買って噴霧した。水性っぽい液体だ。透明で特に匂いも感じない。中まで染み込むように吹き付けるようだ。テープで補強した部分には効果がない。段ボール自体は裏から染み込んで燃えにくくなっているはず。燃えるのはテープだ。でも樹脂製のテープだしタバコを押し付けても燃えたりはすまい。これで安心して使える。不安だったわけでもないけど。そうそう、これを書いている今は乾燥中だよ。

今日は元気がない。身体的に弱っている感覚がある。この身体的弱ってる感は精神から来るものだ。精神的に調子が落ち気味ということになる。精神的に高まっていると苦しいものも苦しくない。身体的なことなんて精神的な調子でどうにでもなる。そう、良くも悪くもどうにでもなるのだ。面白いものだなぁ、と思う。まぁ年齢的にもこれまでの無茶がたたったという意味でも体が弱っているのかもしれないけど、精神的に調子が下がると本当に苦しくなる。家の階段を上がるのが億劫で、階段の前にたたずんで何分もすごしたり、上るのに何分もかかったりする。精神的に調子のいいときは膝の悪いのも感じずタッタカ上るのだけど。

散髪した。自分でした。バリカンと、散髪ケープ?と、首からの侵入を防ぐシリコンっぽいヒラヒラと、髪の毛を払うブラシを用意しての散髪だった。バリカンは十年以上前に買ったやつだ。他は最近買った。今回の散髪のために買ったのだ。これまで散髪するには全裸でやって後には風呂のシャワーで流していた。風呂を使うと父の機嫌も悪くなりかねないのでいろいろとアイテムをそろえた。今回はシャワーなし。流さないとやっぱり頭魔の周辺に髪が付着しているけど、まぁチクチクしないならいいや。

午後

昼食の寸前にプリンターの調子が悪いという話をされ、昼食後に具合をみることになった。ノズルヘッドの詰まりだった。黒だけまったく出ない。2度のクリーニングで直った。こんなに簡単に直るなんて運がいい。よかった。

母がテレビ番組「月曜から夜ふかし」の録画を見せてくれていた。面白いから見せたかったとのこと。いくらかは笑ったのだけど、見ないで済むなら見ないでいたかった。映像は時間の無駄な気がしてあまり見る気がしないのだ。でも笑うことは健康にいいらしいし、ああいう番組を見るほうがいいのかもしれない。TVerとかで無料で見られるのかな? よくわからない。時間を取って見てみようかなぁ――そうだ! 映像を見る時間というのを1日に1時間とか取ってみるといいかもしれない。午後は生産性が低くなりがちだから、受動的なインプットに使うと有効なのかも。これはいいことを思い付いた。YouTubeでもいいし。

やる気がなくて何もできないときでも寝転ぶと少しはできる。仰向けでパソコンを使えるようにセットしてあるのでいくらか作業をすることができる。攻殻機動隊の合田一人っぽいだろうか。で、今日などやる気が出なくて横になるんだけど、この横になる方法には欠点がある。眠くなりやすいところだ。ならないときも多い。だけど眠くなるときはなる。そうなると仕方なしに起きるのだけど、起きていては活動できない。いたちごっこ? いたしかゆし? よくわからない。

金がない。先月は使い過ぎた。使い過ぎたと言っても無駄遣いしたのではない。どれも有用なものばかりだし、これまでと同じ生活をするための消耗品や必需品もある。ただ時期がまずかったのかもしれない。来月に延ばしてもよかった。だけど買ったときは必要だと思ったんだよ。いつもこれだ。買うときは必要だと本気で思っている。無駄遣いするときだって同じだ。数日待ってみる、という手があることを知っている。実際に試したことがある。1週間くらいだっただろうか。心は変わらなかった。有用な方法ではないのだ。少なくとも僕にとっては。必要だから買う、という思考がまずいように思う。この発想は子供の頃からたたき込まれてきたものだ。必要なら買う。必要なら仕方ない。父が何度も口にした言葉だ。なにも父の性にしようという心算ではないが、人には自分でどうしようもない性質というのがある。というか、どの性質を取ってもそんなものばかりだ。食べ物の好き嫌いだってどうしようもない。好みが変わるのはごく一部だ。どうしようもないものと向き合いながら苦しんで生きるのが人生なんだろう。

総括

今日はぼちぼちだった。朝のプログラミングで体調をおかしくしてから具合が悪かったけど、悪いなりにいつもはやらないこともできたし、まぁ、ぼちぼち。