カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

日記 - そこそこだった

21時半に起きた。早過ぎる。でもなんとなく起きて作業を始めてしまった。

プログラミングをしていた。昨日の続きで自作品を管理するためのホームページだ。これまでは本文の総文字数を算出するようにしていた。プロットや関連文書の文字数も別途算出するようにした。僕は主たる活動として小説制作をしているので、前述の二つの文字数を見ることで活動的な日だったかどうかが、おおよそ分かる。健康管理の一助にするつもりだ。

小説の自作品で関連文書を目次に追加していた。前述のプログラムはこの目次を元に算出する仕組みになっている。僕にサーバ側で動くプログラムが書けていれば必要のないことなんだけど、僕はブラウザ側で動くプログラムしか書けない。ちょっと頑張れば書けるようになるはずなんだけど、なかなか手が出せない。

寝た。眠い。そりゃ睡眠不足だからね。3時間も寝てなかったんじゃないのか。ということで起きたのは5時半頃だった。ぼんやりして過ごした。それから朝食だ。朝食をすると体調が悪くなる。体調のベースが元々優れないからだろう。最近ダメな日が続いているのはそのせいだ。アナフラニールを多くしたので防げるといいのだけど。

午前中

朝食後も体調の低下がない。素晴らしい!

Amazonで空気清浄機を買おうとしていた。先日から考えていることだ。中華な感じのメーカーのやつが1万円前後である。これを買うためにAmazon Master Cardを作った。愚かなことと思うが、まぁいいや。で、いざ買おうとすると慎重になる。いろいろと考えた末に出した結論は禁煙の本を買うことだった。以前から目をつけている禁煙の本がある。これを先に試してみなければいけないだろう、というわけだ。なのですぐに注文した。Kindle本なのですぐに読める。ただまぁ調子のいいこの時間帯は小説制作に費やしたい。午後にでも読もうかな。

小説制作をした。op57の本文執筆だ。だけど書いていると何か苦しいものを感じる。これは調子がよくないのか、気分的に会わない作業なのか、何かそういうのがありそうだな。40分ほどで切り上げた。他のことをするのが吉だろう。

今朝ファミマで荷物の受け取りをしたガラス容器にドラセナの木の短い幹を入れた。水も入れてハイドロカルチャーだ。フタはしない。土の代わりに素焼きの揚げ玉のようなものを入れて固定するのが普通だと思うけど、それはしない。木と水だけだ。根が張って固定されるだろう。まだドラセナの木は植えるやつが順番待ちしている。二つある。面倒から今回はしなかった。

加湿器をいくらか処理した。二日くらい前からクエン酸水で満たしていたのだけど、これを捨てて塩素系洗剤の水溶液で満たすのだ。十年あまりも放置してカビが生えていたからね。カビはどこにでも生えるんだなぁ。沸騰式の加湿器だから殺菌されているはずだし、水は水道水だからかなり有機物が少ないはず。だからこそのカビなのかもしれない。なんでも土に返す。数万年とかいうスパンで見れば、カビも無機物を分解できるように進化して加湿器を土に返すのかもしれない。

ゴミを出したり、なくなった洗剤を注文したり、なんやかんやしたらけっこう時間がすぎていて加湿器のつけ置き洗い?がいい頃になったから水ですすいでエタノールを振り掛けた。エタノールが乾いたら稼働させて一応の処理が終了する。それからまた、あれやこれやと細々したタスクをこなして疲れたから横になった。

Amazonから最寄りのファミマに荷物が届いた。今日届く予定だったけど、時間的に早いうちに届いた。いつもなら昼直前に届くからその日のうちに受け取りにいけない。午前中の仕事を終えて父が帰ってくると見つかってしまうからだ。父に見つかると父は機嫌が悪くなるので避けている。で、早速受け取ってきた。ネックシャッターだ。散髪の時に首に巻いて髪の毛が入るのを防ぐ。これで自分で散髪した後にシャワーで流す必要がない。これと一緒に散髪するときに着るケープ?だかなんだかも注文している。散髪がしやすくなって面倒臭がりの僕にとって有意義だ。

午後

午後になって体調が低下した。食後だからというのがあるだろうし、天気が曇りになっているからというのもあるだろう。とりあえず生産的なことはしないで横になっている。

誰も傷つけない創作物はない、と認識していながら創作物を世に出すのだから傲慢であったり無責任であったりするのだろう。とはいえ社会性を持つ存在であるなら創作に限らず同じことが言える。だから傲慢や無責任がいけないことだとは思わない。それでも自覚的であらねばならないのかもしれない。このことによって謙虚でいられるならよけいに。

多様性の時代と言われる。マイノリティに配慮を。しかし本当のマイノリティ、世界で一人しかいないようなマイノリティには配慮がなされない。配慮されるマイノリティとは、マイノリティの中でのマジョリティだ。ここに矛盾がある。マイノリティに配慮するなんて成り立たない。とはいえマジョリティに配慮するのが生物的な正義だろうし、であるならマイノリティの中のマジョリティに配慮するのは正しいのかもしれない。はて、何を言っているのか分からなくなってきたね。

だいたいノベルスキー(SNS)をしていた。気分が低下していて読書もする気が起きない。できれば禁煙の本を読みたいのだけど。

誰かをおとしめる言葉がある。体重を揶揄するような言葉だ。対象者の前で言うのはいかん。これは分かりやすい。対象者がおらず対象者の耳に入らない環境でならいいのか? 発言者の評価が下がるのだとしても、傷つく人がいないので問題ないような気がする。だけどその話を聞いた人たちには「まぁ少しくらい言うてもえぇかぁ」という雰囲気が醸成されるので間接的に傷つく人が出てくるかもしれない。だからやっぱりダメだ。結局のところ人をおとしめる発言をしてはならないのだ。とか思った。

それにしても人をおとしめる発言は楽しい。誰かを下に見て自分が優位に立てるからだ。顔の美醜についておとしめる発言を憎む人でも、頭脳へのこだわりがある場合には愚か者をおとしめて楽しむ心があるかもしれない。もう少し言うなら、悪者が滑稽なことをしていたら馬鹿にするかもしれない。問題ないように思えるが、悪者にも100%完全な人権があるのだ。おとしめられない権利がある。なのでダメだ。というかダメかどうかでなくて、さげすんで喜ぶ心を誰しも持っていると言いたい。持ってないかもしれんけど、持っててくれたほうが人間を理解しやすくていいな。

総括

今日はそこそこだった。まあまあな気分だけど結果が伴っていない。そこそこだ。