カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

落書き - gr045 2023-03-23

「雑誌」ってなんだ、と思った。雑草とかと同じ用法だろう。広辞苑で調べると「雑多なことを記載した書物」とあった。内容が「雑」なのか。雑草とは違う用法なわけだ。大辞林では『英語 magazine の訳語。「西洋雑誌」(1867~69年)の発行人である柳河春三(やながわしゅんさん)の訳語とされる』とある。そういう成り立ちなのか。いや、まぁ、そういうことならいいわ。雑誌と同じ用法だとすると、雑誌のくせに同人誌より上等なもののイメージで変だな、と感じたのがこの段落を始めた切っ掛けだ。

ESSEという雑誌がある。ホームページによると「扶桑社がおくるESSE(エッセ)は賢く生きる女性をサポートする情報誌」だそうだ。昔ESSEのCMがあった。メロディに乗せて女性の声で「イーエスエスイーエーッセ」という言葉が入っていた。CMでは「エーッセ」と言っているわけだ。でも「エッセ」として認識していたな、なんでかな、とちょっと不思議に思ったのだ。なんかちょっと賢そうな女性が書店で「エーッセちょうだい」って言ってたら面白いのに、と思った。

高校生の頃に中村吉右衛門鬼平犯科帳と出会った。それまで見知った時代劇と違ってハードボイルドで大人の雰囲気があった。背伸びしたい当時の僕は夢中になった。テレビで鬼平犯科帳の後に放送する「ワーズワーズの庭で」も大人びた番組で好きだった。土曜日の夜だったか、日曜日の夜だったか、僕はこのコンボが好きだった。大人になったような気分だった。いや、それだけの話だ。

「漢字を開く」という用語がある。漢字をひらがなにする、という校正用語だ。反対に「ひらがなを閉じる」というのがありそうだけど、校正の本では見掛けない。ネットや文章に関する本でちらほら見掛ける。「ひらがなを閉じる」とは昨今の造語なのかな、という気がしている。僕としては開くがあるなら閉じるも使えばいいじゃないかと思う反面、伝統にのっとりたい気持ちもある。最近のチャラチャラした奴らとは違うんだぜ、というコンプレックスがあるからだ。コンプレックスは乗り越えねばならない。積極的に使っていくべきだ。分かってる。分かってるんだけど。

小説とか文章のことになると張り合ってしまう。自分は分かっていると思い込みたいコンプレックスがあるのだろう。前述でもそうだ。小説や文章に関する本を読んでいて気に入らなくなることがしばしばあって困る。表現が嫌だの、日本語が間違っているだの、何か見付けては反発してしまう。子供みたいなものだ。と、ここで「子供」を出すあたり、自分は子供じゃないというコンプレックスがあるのだろう。こうして見ていくと僕がコンプレックスだらけだと分かる。そもそも人はコンプレックスだらけなのだ。好む・嫌うというのはコンプレックスから来ることが多い。ブランド品を好むとか不体裁を嫌うとかいうのは典型だろう。きっとコンプレックスを全て取り除いたら悟りを開くのだろう。無理っぽいからそれは諦めるにしても、年相応にコンプレックスを減らしたいなぁ(これもコンプレックスだ)。