カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

逆行動のすゝめ

Twitter の TL を見ていて「下らない」と思ったり馬鹿にしたりする物事がある。自分の趣味や主義、考え方とはまるで相容れない侮蔑してしまうような物事。僕はここのところ、そういったことについて「思いとは逆の行動を取る」という活動をしている。つまりリスペクトする、評価する、ということだ。

そんな行動には当然心的な反発が起こる。表面上では評価していても内心では依然として馬鹿にしたまま。いや、余計に蔑んでしまうかもしれない。それでも無理にその情報をたぐる。評価できる部分があるのではないか、と反省しながら、記事を読む。

重要なのは心を開こうとすることだ。考えてもみてほしい。世の中のあらゆる物事には誰かしら賛同者がある。右翼の賛同者もあれば、左翼の賛同者もある。陰惨な殺人行為だってそれを楽しむ人がいる。森羅万象は見方、感じ方の違いで賛成したり反対したりするものだ。理想的に開いた心をもってすれば、あらゆることを理解して中庸を得ることができるだろう。

話が大きくなり過ぎたが、馬鹿にしているようなことだって、見方を変えれば、素晴らしい!とはいかないまでも得られるものがあるかもしれない。何かを得る、ということは素晴らしいことだ。今より豊かな人間性を持てるようになるのだとしたら、反発の心など、それこそ下らない。むしろ反発の心が大きいほど自分に足りないものが潜んでいる可能性が高い。心理学的な話だ。

というわけで、見下したりしたときにはあえて逆の行動を取ってみてはどうだろう、という提案をする。いつでもそうである必要はない。気が向いたときだけでもいい。もしかしたら粗探しをして余計に馬鹿にしてやろうという下心があったとしてもかまわない。心を開く一歩につながれば、それは素晴らしいことだと思う。