カメリアの記事

意味があることやないことを綴ります

FW No.118 - ノート

2023/01/24 お題はノートだって。メモとおんなじじゃねぇか。ノートは開く。ノートには書く。ノートはB5が多い。A4は買って持ってるけど大きく感じる。B罫が好きだ。線の幅が細い。僕は字が大きいから、いや大きく書かないと小さい字なんか書いてられないから、2行使って書く。そうすると幅の広いA罫だと広すぎる。細いほうがいい。というかもっと幅の太い罫があればいいんだけど。C罫みたいなの作ってよコクヨさん。それはともかく昨今の僕にとってノートといえば思考ノートだ。思考ノートについては思考ノートというお題で書いた。これ以上は書くまい。ノートを使うと頭がいいような気分になっていい。僕は頭がいいつもりでいたい人間なので。ノートは何冊も持っている。何冊というか二十冊くらいある。書きかけとかが多い。小説制作で使うんだけど、考え事をするのに書き込みながら考える。いや、これが思考ノートなんだけど。ノートはそうだなぁ、生徒の頃はどうだっただろう。字が汚いからノートに愛着はなかった。学生の頃も同じだ。というか、生徒・学生の頃のノートといえば板書を書き写すのに必死で、もう何を書いているんだか分からない。きれいに書き写したいものだから、なおさら内容が頭に入ってこない。何のためのノートだったのか分からない。メモのときに書いたけど、僕は打ち合わせとかしながらメモを書く能力を先天的に持っていないから、学校のノートを取るのも苦労したんじゃないだろうか。ノートなんか書かずに先生の話をよくよく聞いていれば良かったと思う。そういうところの教育の場の配慮が行き届いているといいね。それはともかくノート。ノートはコクヨのCAMPUSを使っている。流行廃りがない気がするし、いつまでも作っていてくれそうなので、選んだ。安いし。ノートとかそういう、ちょっとインフラにもなりそうな存在というのは長く同じ品質の同じものを使い続けたいという欲求がある。CAMPUSなら人気があるから販売し続けられるだろう。ノートは他の種類も買ったことがある。マルマンとかだっけ。高品質のやつとか。A4サイズとか。いずれもイマイチというか、品質に問題があるのではないけど、多少の高額さを納得できるようなプラスアルファがない。なくて普通だと思う。ノートは現代においてそんな高度な技術を要するものではないはずなので。いや、そりゃ僕なんかお呼びがつかないほど高度な技術で作られているはずだけど、コンピュータとかそういう最先端のものと比べるとレガシーな枯れた物品と言えるのではないだろうか。そう、ノートは枯れている。ノートに真新しさはない。当たり前に手に入るものだ。ありがたい話なんだろう。ノートにはいろんな表紙がある。ノートにはいろんな罫っていうかドットとか、地の模様がある。真っ白のやつもある。いろいろと用途があるんだろう。僕も文房具は好きなのでいろいろなノートを試してみたいけど、そうそう合うことはないだろうし、今のB罫で間に合っているので、手を出さない。なんか出したいけど。どうせ使えないから我慢だ。ノートはみんな使ってるだろうか? 普通は使わないことがおおいんじゃないかな。